こちら葛飾区水元公園前通信801ライブ

tenshinokuma2013-04-22

 こんばんは。
 お元気でしょうか?

 現在の場所はマック。BGMはスザンヌ・ヴェガの最新のライブアルバム。デビュー25周年で始めたセルフカバーのアルバムを4枚。そのあとに出したライブアルバムです。でも、25年前と変わらない。というか、正確に言えば、25年前に戻ったという。アートフォークとでもいうようなジャンルでデビューし、一時期はヘヴィな音を作っていたけれども、その当時のパートナーと別れ、戻った、そんな経験の末に、今がある。
 人は変わりもするし、変わらないところもある。自分についていえば、変わったのかそうでないのか、たぶん、わからない。それは、人がそれぞれ評価してくれること。

 というような話を、村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(文芸春秋)を読みながら、考えました。
 どんな話なのか、ネタバレになるので、あまり話せないのですが。戦隊物か「黒子のバスケ」かよ、とか、BLかよ、とか、つっこみながら、でも全体としては「ドラゴンクエスト」のような話だなあって、ずっと思っていました。クエストそのものは、とても楽しめました。でも、ボスキャラはどこにいったんだよ、という感じで、消化不良で。RPGなんだから、それはないだろう、とか。

 小説は、RPGではないので、言いがかりと言えばその通りなのですが。

 この小説の起点は、主人公の幸福な高校時代。仲良し5人組。
 村上春樹の小説を読むたびに、自分との距離を測ってしまう、という話はしたことがあったっけ? 今回も、そう。
 ぼく自身の高校時代は、それほど幸福ではなかった気がする。それは、ひょっとしたら仲の良い友達の人数で測れるものなのかもしれない。まあ、まったくいなかったわけじゃなく、今でも大切にしている友人も何人かいるけれども。
 でも、そんなわけで、この数年の深夜アニメはそんな高校時代を想いださせてくれるとことがあって。「僕は友達が少ない」とか、いろいろ感じてしまいます。

 でも、それはそれとして、人は前に進む力を基本的に持っているし、みんなそうしてきたとも思うのです。だからこそ、そこはボスキャラを倒すところだろう、とか。
 近所に高校の同級生がいるっていう話は、したと思います。
 その女の子のことは、実はとてもよく覚えていました。会えばいつもにこにこと笑いかけてくれる女の子だったので、忘れるはずはない、というくらいに。そもそも、女の子にもてるような男子だったのでなおさら。もっとも、当時、別に好きな女の子がいたので、それだけの話ではあるのですが。
 その女の子が、30年たって、まったく同じ笑顔を浮かべて目の前に立っていても、同一人物だって簡単に信じることができなかった、そういうことです。そのあと、互いに自分の子どものことで困っていることを話す、とか。
 たぶん、そんな話はめずらしくないし。その話から、どんな教訓を導くのか、というのも、人それぞれ。

 多崎つくる君が失ったものは重かったし、だから死ぬことだけを考えていた、というオープニングは、そうかもしれない。でも、失うということそのものは一般化できるものでもあるし、そうであるから村上春樹の小説は広く受け入れられるのだとも思う。
 そうは思うのだけれども。もうそろそろ、失うことから立ち直る、先に進む、そのことを明確にしてもいいんじゃないか、とも思うのです。それがボスキャラです。

 まあでも、色彩を持たない多崎つくる君は、そのままだったら羊男になっていたのかもしれない、とも思いました。でも、それは、多分、巡礼を通じて救われるのだとも思います。

 村上春樹の作品は、「海辺のカフカ」から、主人公は著者の子どもといってもいいような世代になってきていると思います。カフカ、天吾、つくる、そうやって年齢が上がっている、というべきでしょうか。でも、それは2世代目として、同じことの繰り返しではないだろう、という悪態を、やっぱりついてしまいます。

 ということはさておき、「ドラゴンクエスト10」はけっこう楽しんでいます。土日の午前中はけっこうやっています。まあ、足をけがしてしまって、あまり外で遊べない(キャッチボールとか)ということもあるのですが。
 オンラインゲームということで、ゲームの世界はときどきバージョンアップするし。最終的なゲームの到達点があるというより、まあ、それはないわけではないのだけれども、だらだらとクエストをクリアし、あるいはフレンドとチャットをする、そんな時間を楽しむという。ゲームの製作者側も意図的にフレンドをつくろうとしていて。友達が少ない人をバーチャルな世界で助けてくれています。
 まあ、ぼくは一人でプレイするのが好きなので、チームのチャットにときどき参加するくらいで、パーティを組むことはほとんどないのですが。まあ、それで昔から友達が少ないといえば、そうなのですが、まあいいです、それは。いや、誘ってもらったチームのチャットを見ているのは楽しいです、それはホントです。ときどき参加するし。

 まあ、ぼくはともかくとして、いろいろな楽しみ方ができる場所がつくられている、そういったゲームになっています。
 しばらくは、ほかのゲームはしなくていいな、とか。

 で、今期の深夜アニメですね。「惡の華」は、なんか、かなり重いです。でも、見ていて思ったのは、どこかに行きたい「涼宮ハルヒの憂鬱」なのではなく、どこにも行けない仲村さんの話なんだな、ということ。
 あまりに重いので、「俺の青春ラブコメは間違っている」で中和しながら見ています。話としては、食傷気味なんですけどね。それでも足りなければ、「変態王子と笑わない猫」ですか。もう、どうでもいいような話なんですけど。でも、そのくらいしないと、「惡の華」に耐えられませんです。じゃあ、見なきゃいいじゃないかって言われそうなのですが、それと見ないことは別ですから。

 それはそれとして、坂井恵理の「ヒヤマケンタロウの妊娠」(講談社)は、男性は必読、と言っておきます。男性が妊娠するようになると、社会は変わる、ということです。たぶん、いい方に。