日本民家園

tenshinokuma2008-04-30

 昨日はまったりとしたくて、子どもたちとそれに友人Aとともに、生田緑地にある日本民家園に行って来ました。
 巨大なスズメバチがいきなり飛んでいたりして、娘は早々に帰ろうと言い出す始末でしたが、それでも民家に上がり、いろりを囲んでまったりとしたのでした。

 今日からまた仕事です。
 写真は、息子が保育園の卒園記念でもらったパンジー。庭に植え替えたので、毎年咲くといいなあって思ってます。
 珍しいパンジーを珍パンジーっていうんだよ、と息子に教えてあげました。

 というわけで、昨日は昭和の日。
 以下、別のブログに書いたものを、コピペします。

 今年から4月29日は昭和の日ということになっている。これまでのみどりの日は5月4日に引越してしまった。
 元々は、昭和天皇の誕生日であり、その祝日がなくなると、ゴールデンウィークがさびしくなるので、昭和天皇の愛した植物にちなんで、みどりの日になった、というわけである。
 それが再び、昭和の日となったわけだ。

 たぶん、そのことが天皇制を認める、ということではすまないと思っている。というのは、「昭和時代」という呼称がいつまで通用するのか、と思っているからだ。
 時代が大きく変わったのは、1945年だったと思う。それ以前とそれ以後では、明らかに別の時代だ。たまたま、天皇制が保存され、昭和天皇が引き続き在位したというだけである。

 日本史と世界史をリンクさせることにおいて、第二次世界大戦そのものも大きな出来事であった。そして、戦勝国を中心に、国際連合ができていく。

 何が言いたいのかというと、安土・桃山時代があり、江戸時代があった後、大日本帝国憲法時代があり、1945年を酒井に日本国憲法時代になった、そういう歴史的区分の方が、本質的なのではないか、ということだ。
 昭和の後半と平成は、まったく異なる時代、ではない。

 そうであれば、歴史学者を中心に、呼称をあらためようという動きが起こってもいいと思う。おそらく、そうした認識を持つことが、歴史が逆行しない、退化させない、歴史学者の責任というものなのではないだろうか。

 したがって、昭和の日が昭和である限りは、歴史の本質を見誤ることを暦が内包させているということも言えるはずだ。
 かつての昭和時代は、1945年に至る悲劇と、それを総括仕切れなかった戦後の歴史という形でしかとらえることはできないだろう。
 それは、祝日と呼ぶには、あまりにもネガティブなメッセージだが、それは忘れてはいけないものだと思う。