こんばんは。お元気でしょうか(書いているのは夜)。
今回は宣伝から。
「トーキングヘッズNo.61 レトロ未来派」がすでに店頭に並んでいるかと思います。ぜひとも、今回もご購読のほど、よろしくお願いいたします。
まあ、だいたい、スチームパンク特集、といったところでしょうか。売れ行きも悪くないと聞いていますので、品切れになるかもしれません。ってね。
そんなわけで、もう2月です。
1月後半は、ISILによる日本人人質事件で、暗いムードだった上に、安倍晋三くんがさらに世の中を暗くしているといったところでしょうか。当時の記事では、安倍くんは危機に対する対応として、「指示」はするけど、中味がないっていうか。頭使ってないな、というか。
今の日本は、戦前と同じだっていう話をよく聞きます。そうかもしれません。違うところといえば、かつて同じことを経験しているということ。それだけが救いかも。
日本は、戦後のやり方を間違えた、というのが、最近のぼくの考えです。だったら、戦後をやり直さなきゃいけないんじゃないか、とも思います。
そうであれば、今の戦前の感じを一気に戦後にもってってしまうというのもいいかもしれません。
早送りでの戦争。敵は、日本の内側にある自閉意識。
だって、戦前と同じっていうことは、日本はどんどん孤立しているっていうことでもあるのです。
東アジアで孤立し、次は中東からも見放され。欧米からはすでに相手にされていないっていうか。できることは、途上国に行って、お金をばらまくことだけ。
そんなふうに思います。
わけあって、大正時代についての本を読もうと思っています。
最初に読んだのが、原武史の「大正天皇」(朝日新聞出版社)。なんか、存在感のない天皇なのですが、意外な面があっておもしろかったです。
確かに子供の頃な病弱だったけれど、結婚を機に元気になって、地方を行啓します。その姿は、気さくな人、という感じ。子供のまま大人になったといったところもあるでしょう。
厳格なイメージを保ち続けた明治天皇とは対照的です。むしろ、今の天皇に近いかも。
当然、そうした天皇(皇太子)の姿は、一部の政治家にとっては気に入らないものだったようです。まあ、今の天皇を良く思わない政治家もいますからね。
32歳で天皇になるのですが、そこから体調を崩し、実質的には10年後に、後の昭和天皇が摂政になります。もし、時代区分を天皇の統治でわけるとするのであれば、大正時代は10年ぐらいしかなかったことになります。
昭和時代は現実には5年早く始まっていた、とすると、時代の見方は変わるのかもしれません。
読む前は、大正時代というのは、名称と内実がもっとも合致していない時代の呼称だと思っていました。
ずっと前に書いたことですが、明治時代以前というのは、政治体制によって時代が区分されていました。江戸天皇とか室町天皇とかがいたわけではありません。また、歴史を区分していく上では、それが合理的だったと思います。
そうであれば、合理的な時代区分は1945年を境に、その前を「大日本帝国憲法時代」、じゃ長いので帝国時代、その後を「日本国憲法時代」では長いので、うーん、何で呼べばいいのかな。
それでも、天皇が政治的に影響力があるのであれば。明治時代という呼称も何らかの意味はあるのですが、大正天皇にそれがあるのかどうか。
本質的には、この考えは変わらないのですが、それでも、悪く言えば子供のような、良く言えば人間であることを体現した、大正天皇の姿は、政治的な影響はあったのかもしれません。
1945年以降、昭和天皇は天皇を演じ続けることで生きながらえたと思います。今の天皇もまた、戦後の象徴でもあるのかもしれません。日本国憲法が、今の天皇を成立させているルールなのですから。そして、最初から政治的な立場を与えられず、しかし政治的に利用されうる、そうした存在は、大正天皇と重なるところがあると思います。
辺見庸と佐高信の「絶望への抵抗」(金曜日)も読みました。読んだ、けど、。
ここでは、マイルドでわかりやすい辺見の言葉が読めます。辺見の読者には物足りないかもしれないけれども、でも「霧の犬」よりはわかりやすいので。でも、わかりやすい分、本質が伝わらないかもしれません。
本質を感じ取ることができないのが、佐高信です。ちょっと、ここでの佐高は、辺見にとりいられようという感じがあって、良くないです。佐高はもっときちんと、辺見を批判するべきなんです。こんな時代になった責任の一部は、ジャーナリストであった辺見にもあるんだっていうことを。それは同じように佐高にもあるんですけど。
まあ、内容は、本当に気持ち悪い現在の日本に対するものなので、くどくど書く必要もないですね。
という点では、森達也の「すべての戦争は自衛意識から始まる」(ダイヤモンド社)も同じかもしれません。書いてあることは、ほぼすべて同意するのですが、だからこそ、付け加えることはない、というか。
「戦争はダメ」というだけじゃ戦争は回避できない、という森の考えはその通りだと思うのです。どうしてそれでも戦争し、平気で残酷になれるのか、ということが理解できなければ、同じ過ちを繰り返すと思います。
ISILによる人質事件は、痛ましい出来事でした。それには言葉もありません。さらに、ヨルダンによる空爆という、死体を増やす方に事態は推移しています。
でも、それ以上に、この事件に対する日本人の反応が気持ち悪いのです。
当事者ではないにもかかわらず、想像力が欠落したマジョリティが盲目的に正義を叫ぶ姿というのは、この国がいまだに死刑制度を廃止できないことと重なるのです。
同調圧力とでもいうのでしょうか。でも、憎しみだけでは、いい結果にはなりません。
ISILが非道な犯罪組織だということは、その通りだと思います。でも、変えられないとは思わないのです。人間だもの、というか。
日本人もまた、たかだは85年前に開始した戦争では、中国を侵略し、多くの人間を虐殺してきました。それがどうにか、平和国家といわれるようになったのです(今はもう、ちがうのかもしれませんが)。
それどころか、パレスチナを相手に虐殺を繰り返すイスラエルに対し、日本の首相はテロ国家だと指摘することもなく、共同会見までしてむせるのですから。そこには、それでもイスラエルとは対話できる、というのがあるのでしょう。
そんなレベルで考えるとしたら、ISILにしても、いつかはソフトランディングさせるように、時間をかけて交渉していくべきではないか、と思うのです。それは、ISILだけの問題ではなく、中東をどのように政治的に安定させるかでもあります。
けれども、困ったことに、この国では誰もが、どこにソフトランディングさせればいいのか、そうした想像力を持っていません。
というか、それ以前に、本当は、北朝鮮をどこにソフトランディングさせるのかを、優先して考えるべきなのでしょうし、あるいは中国の民主化についても同様なのですが。小さな島にこだわってる場合じゃないんですけどね。
という暗い世の中ですが、今期の深夜アニメで、楽しく見ているのは、実は「冴えない彼女の育て方」だったりします。
最初からハーレム物批判ではじまり、ツンデレのお約束をけちらし、とにかく、何だかなー感たっぷりの地味なヒロインを何とかしようという主人公の姿が、なんだかけなげです。
男の子がキュンとなるヒロインを演じさせようとする姿は、そもそもそんなヒロインがフィクションだと最初から言っているようなもので、いさぎよいというか。
ハーレム物って、どうしてこんなオタク男がもてるんだ、みたいなところがあるんだけど、この作品の主人公、けっこうバイタリティがありますから。
それにしても、毎日、寒いですね