こちら葛飾区水元公園前通信890

 こんばんは。

 ようやく暖かくなってきましたが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。

 まず、業務連絡です。

 今年は、今のところ、特に花見の計画はしていません。花見をしたいという希望があれば、それに合わせます。ただし、3月30日はトレッキングの予定が入っているので、ぼくは行けません。ということで、よろしくお願いいたします。

 

 今年も3月11日がやってきたなあって思います。思うけど、だからどうだっていう言葉はないです。それはもう、自分が多少なりとも責任があることなのですが、それをどうすればいいのか、というのも簡単ではない。

 ということはさておき、まずは演劇の話から。

 劇団短距離男道ミサイルの「お父さん、晩年っていうのかい、これは」を観ました。この劇団は、東北地方を中心に活動しています。地方公演するということは、落ち着いて働くこともできない、ということも覚悟の上です。

 東北で晩年といえば、太宰治ですね。太宰と、そしてもちろん東日本大震災福島第一原発事故。震災をきっかけに活動を開始した劇団ですが、この作品で展開されるのは、きれいごとなんかではなく、芸術に向かわざるを得ない自分自身についての語りであり、そこからの逃亡です。でも、エゴも含め、本音の部分を語っていくっていうのは、きれいごとで回収されてしまう作品ではすくいきれないものが、そこにあります。

 そして、その卑小とも思える本音は、太宰に通底するものがあるのではないかとも思います。芸術に向かい、その一方で生活にのしかかられて退団するメンバー。それでも活動を続けていく意思。

 それでもなお、自分たちは何によって生きていくのかという意思を示すことは、とても大切なものなのだと思います。なかなか報われないのですが。

 

 今回はおすすめの本を2冊。

 まずは、赤坂真理の「箱の中の天皇」(河出書房新社)から。

 赤坂で天皇というと、「東京プリズン」を思い出しますが、ここではさらにその先に進もうという意思があります。昭和天皇だけではなく、いわゆる平成天皇がいて、テレビの中で語りかけます。箱の中の天皇。でも、箱の中はからっぽなのかもしれません。そうでしかない天皇という象徴、赤坂にとってそれはどのようなものなのか。

 昭和天皇に対して戦争犯罪を問うことはできますが、平成天皇は最初から象徴にすぎません。象徴は国民に何を与えてくれるのでしょうか。

 正直に言えば、「東京プリズン」には及ばないかな、とは思います。でも、その先に進む、そのひとつの姿ということで納得します。未読の人は、まず「東京プリズン」をぜひ。

 

 岡真理の「ガザに地下鉄が走る日」(みすず書房)もおすすめです。なんだか真理続きですね。関係ないけど。

 ガザは言うまでもなく、パレスチナ自治区です。イスラエルの脅威にさらされている小さな場所です。

 ガザを表すとすれば、本文中での言葉、「無期懲役、罪状はパレスチナ人であること」。大量虐殺ではなく、閉じ込められたまま少しずつ殺され、あるいは無力化されていく人々。

 ユダヤ人が第二次世界大戦において大量虐殺された歴史がありますが、そのユダヤ人が逆にパレスチナ人を迫害している。怪物におびえるものが自ら怪物になったとでもいうのでしょうか。

 イスラエル人にはイスラエル人の言い訳があるでしょう。イスラエルを支持する、キリスト教福音派の牧師は、言い訳をし、イスラエルベンチャーとその源泉となるイスラエルの歴史を語ります。まあ、イスラエルベンチャーが注目されているのはわかりますが、それだけの創造力がありながら、紛争を解決できないのは、言い訳できないんじゃないかと思います。

 でも、パレスチナ人の話は遠いことではなく、日本においても、ゲットーがあり、差別される人々がいます。

 ガザにはまだ、地下トンネルしかありません。それが地下鉄にとってかわる日がくるといいと思います。パレスチナ人のアーティストは、ガザの地下鉄路線図を作品として製作しました。

 この本を通じて、パレスチナ自治区があり、パレスチナ人がいることが伝わればいいと思います。ということで、ぜひ。

 

 あと、明石順平の「データで語る日本の財政破綻」(集英社)も読みました。

 確かに、財政が危機的状況にあるのはその通りだし、破たんに向けてせっせと無駄遣いをしてきたアベノミクスへの批判はその通りだと思います。だから8割は正しい。

 でも、明石の考えに対して異論があります。それは、アベノミクスの失敗を、明石は「金融政策」であるとすることに対し、ぼくは「財政政策」だと思っていることです。

 明石は黒田総裁の異次元金融緩和を批判し、それによって財政危機が拡大したとしています。でも、ぼくの考えは、需要が少ないので財政出動を行うべきだし、そのための金融政策があった、ということです。アベノミクスの問題は、使うべきところにお金を使わなかった結果、貧富の差が拡大し、内需が拡大しなかったために、景気回復の基調となるゆるやかなインフレが起こらなかったことだと思っています。

 ただ、明石が指摘するように、国の借金を減らすことはほぼ不可能に近いとも思います。

 明石は明確な処方箋は示してはいないのですが、松尾匡ら「薔薇マーク」運動、つまり金融政策と財政政策によって社会福祉予算をばらまく運動には批判的です。

 ぼく自身は、松尾の考えを支持しているのですが。

 ただ、大事なことは、明石も松尾も一致すると思うのですが、通貨と税によるシステムを通じて、豊かさを再分配することが政府の機能に求められているということではないでしょうか。ところが、アベノミクスはその真逆を行っており、貧しいものがさらに貧しくなっている。それは批判されるべきでしょう。

 同時に、適切な財政政策をとったとしても、借金返済は難しく、ゆるやかなインフレでもなかなか軽減されないとは思います。では、ハイパーインフレが起こるのでしょうか。

 少なくとも、税と通貨による豊かさの再分配というシステムそのものが、制度疲労を起こしている、それが資本主義の現状なのかもしれない、とは思います。だとしたら、オルタナティブな再分配システムを考えるべきなのかもしれません。

 それはそれとして、直近の運動として、少なくとも適切な再分配を優先する松尾の考えを支持するし、それに異を唱える明石に対しては、ぼくは否定的な立場です。

 次の参議院選挙では、自民党公明党は消費税増税先送りを公約として掲げる可能性が強いと思っています。そうであれば、野党は消費税引き下げ、5%を公約にしてもいいのではないでしょうか。

 

 ということで、ではまた。