こちら葛飾区水元公園前通信730

 木曜日、ぼくが書いている本の初校が出てしまった。書き上げたのは、火曜日の夜、というか水曜日の未明。金町のマクドで100円コーヒーを飲みながら、パソコンに向かっていた。
 それが木曜日には初校だから、早い。ぼくが編集している本なんて、そうはいかないもんな。
 今日、ゲラをもらいながら、3月中には刊行しましょう、というを言われた。なんか、すごいスピードだ。ぼくは、「はい、やります」としか言えなかった。
 ということで、これから校正と、図版の収集・作成をしなきゃいけないのである。
 それにしても、やっぱり本の執筆に追われる編集者って変だ。というか、何か新鮮。これで、なかなか原稿を書かない、ぼくが抱えている執筆者に自慢できるぞ、というのはあるな。

 そんなわけで、また新しい仕事をはじめた。
http://otokonokakurega.net/blog/entertainment/117/entry1236.html
 が、それである。ブログの執筆なのだけれども。こだわりのある内容という注文だったので、こういうテーマになった。いやあ、あまりにマニアックすぎて、今まで書いたことってほとんど無かったんだけどな。でもまあ、そういう意味では、いいきっかけかもしれない。もっとも、人気がないと3ヶ月で打ち切りだよ、と言われている。まあ、その可能性は、高い、かもしれない。ページビューがすべてなので、よろしくおねがいします。

 そうそう、トーキングヘッズの新刊も出ました。No.33、特集ネオ・ゴシック・ヴィジョンです。ゴスロリはともかく、とっても痛そうなパフォーマンスとか、そんなものまで、いろいろ入っています。ディープな世界のてんこ盛り、ということで、今回もぜひお買い求め下さいますよう、よろしくお願いいたします。
 そういや、パチンコ系にもゴスロリが登場したのか、と先日、思ったのですが、よく見るとゴリスロでした。ゴリラをデザインしたスロットです。

 そんなわけで、今夜のおすすめは、中村桃子の「〈性〉と日本語」(NHKブックス)です。
 これがけっこう、目からウロコ。マンガや小説で話されている女性の会話って、現実
には有り得ないっていう指摘は、まあ、たしかにそのとおりだ。あるいは、洋画の吹き替えの女性の言葉っていうのかな。何となく、そういうもんだって思って、気にしないでいたけれど、「〜だわね」といかにも女性ですっていう話し方って、現実には実はあまりしていない。
 で、中村の指摘というのは、こうした女性の言葉というものが、作られたものだという指摘。つまりは、女性性というのは、言葉の面においても、あえて作られておしきせられたものではないか、ということだ。
 さらに、異性愛は言葉に宿る。そもそも、男性か女性かという2つしかないというのは、言葉がそのように定義しているからだ、というもの。実際に古代ローマセクシュアリティはもっと多様だったという。また、性というものがそれなりにグラディエーションがあって、女性的な男性とかもいるし、そもそも異性愛を前提にしなかったら、男性と女性の区別の意味もまたちがってくることになる。
 そういうわけで、少女は「ぼく」を使うことで、規範を破っていくことをしているし、女性の言葉が乱れているって言われても、最近のことではなく、そもそもそういうもののはずなのに、乱れているというイメージをもって言葉による「女性性」の強制が行なわれている、ということになる。
 とまあ、言語という観点から、抑圧を分析したこの本は、なかなか面白かったというわけです。

 斎藤美奈子の「文章読本さん江」(ちくま文庫)と併せて読むといいかもしれない。

 先日はたくさん雪が降ったのですが、あまりにシャベット状だったので、クロカンができず、残念でした。でもまあ、雪だるまとか作ったのでいいんですけどね。
 それにしても、降ったわりには融けるのが早いわけで、やっぱり温暖化してますよね。