沖縄と北海道−運動会のこと

昨日は、雨で延期になっていた娘の小学校の運動会。
仕事をさぼって、見ていました。
みんなけっこうがんばったし、楽しんでいたので、それは良かったと思っています。
短距離走、集団競技、表現(ダンスのようなもの)の3つとリレーが主なプログラム。
とりわけ表現は、やっぱりやっている本人たちも、きちんとできるとすごくうれしそうだし、それはそれでいいなあ、と思うのです。
そういうものを見てあげるっていうことは、やはり必要なので、仕事をさぼって良かったと思うわけです。

でも、そういうことじゃなく、気になったこと。

表現で各学年がやるのですが、まあ、「アルゴリズム体操」みたいな学年もあって、それはそれで面白かったんですけれども。

どういうわけか、沖縄系と北海道系(ソーラン)は必ずあるんですね。それそのものは、見ていてとてもエキゾチックだし、悪くないんです。でも、それがいつもある、しかもその場所っていうのは、本土が植民地にしていた場所である、ということを考えると、とても変な気持ちになるんです。
教育現場において、沖縄や北海道があるということが示されることは重要です。けれども、その文化だけが現場で使われるというのは、どうなのかなあって。
別に郷土愛とか、そういうことじゃないんです。でもまあ、都内の学校なので、やはり緑のビニール傘を持って「東京音頭」を踊るっていうのもアリなんじゃないか、と思ったわけです。
あ、でも今年は獅子舞の学年もあったか。

そんなわけで、運動会の後は、やはり遅くまでたまった仕事に向かうことになったのでした。

前日も遅くまで仕事をしていたので、「キューティーハニー」は見てしまったけれど、夕べは「ねぎマ」は見なかったぞ。