こちら葛飾区水元公園前通信711

 いつも、朝は音楽で目覚めている。セットしてある時刻になると、CDがかかる。それで、ずっと入れっぱなしになっているのが、「あずまんが大王」だったりする。毎朝、榊さんが歌う、「心は少女でパラシュート」が耳に残るのであった。
 アニ・ハズラムの新しいアルバムにも「パラシュート・ユー」という曲があったっけ。

 昨日と今日はうちの町会の盆踊り大会。いつもなら、ちょっと子どもたちを連れていって、金魚すくいのひとつもして帰ってくる、ということなのだけれど、今年はブロック長なので、お手伝いをしなきゃいけない。
 ということで、27日に、お客接待係をお願いします、という連絡が来てしまった。
 しょうがないので、子どもたちを連れて、指定された時刻に行ったのだけれど、いるのはブロック長や役員の主婦の方々ばかり。いきなり「エプロンします?」ときかれた。かみさんにお願いすれば良かったと思うだろうけど、その日は残業中なのであった。
 そうだったのか、そういうことだったのか、ということで、何だか、あまり手伝えなかったな。多少、力の必要なことをしたりもしたけれども。
 子どもたちは、盆踊り会場の公園で遊んだり、数字合わせでおもちゃを手に入れたりしていたけれども、とりわけ下の息子はすぐに飽きて、じゃましに来たりする。ジュースとか出してもらって、喜んで飲んだりしていたけれど。
 そういうわけで、何か、また近所の人に、うちは父子家庭と思われたかもしれない。
 でもまあ、子どもたちも、自分たちで遊んでいてくれたし、ごくろうさま、である。
 最後は、盆踊りに来てくれた他町会の人たちにビールを出すためのセッティングをして、それから役員やスタッフでごくろうさんということでビールを飲む準備。さすがにぼくは子どもたちがいるので、一杯だけ飲んで帰ったけれども。
 でもまあ、大変ですね、盆踊りも。今日は行かないぞ。

 9月には、香取神社の祭りがあるのだけれど、このときも当然、役がまわってくるんだろうな。

 岩田正美の「現代の貧困」(ちくま新書)を読んだ。読むと、世の中に対する怒りがわいてきます。いいのか、これで、っていう。
 貧困というと、注目されているのは、ニートだったりする。けれども、もっとも貧困な層というのは、ホームレスだし、彼らは主に50代だったりする。学歴がなく、職を転々としていたら、ホームレスになっていたという。そういう人たちをなかなか救ってあげられないのが、現在の行政だったりもする。
 でも、そう考えると、今の貧しい30代フリーターがさらに貧しくなるのは、やはり50代になってからなのだろうか。正社員になる機会がないために、キャリアがなく、職を転々とし、ネットカフェ難民からさらにホームレスへ。
 もう一つ、母子家庭が低収入世帯だという指摘。これは今更、ではあるのだけれども。少子化の問題ともからんでくるけれども、確かフランスあたりでは、母子家庭を支援するしくみがあって、出生率が上がったのではなかったか。別に、子どもを持つかどうかは本人の自由だし、その結果として出生率が下がったのであれば、それはしょうがないとは思うけれども、そうではなく、子どもを埋めるような社会状況ではないとすれば、それは改善されるべきだということだ。でも、それはちょっと岩田の本からは離れてしまう論点なのだけれど。
 岩田の指摘で意外だったのは、孤独死はやはり50代から60代に多いということ。後期高齢者孤独死は少ない。後期高齢者になると、孤独でいると地域の目が入るからなのかもしれない。実際に、駒込の会社の隣で、60代男性が孤独死していたのは、つい最近の話だったし(会社では渋谷で仕事をしていたぼくだけが死臭をかいでいない)。60代の一人暮しだと、周囲からは高齢者とは見られないし、だからあまりケアの対象にならない。したがって、健康上や経済上の問題があっても、まだ自己責任という目で見られてしまうのではないだろうか。だが、この孤独死の男性もまた、近所から相手にされないほど、性格に問題があったし、にもかかわらず脚が悪く、あまり活動的ではなかったということになる。岩田の指摘する孤独死の典型みたいなものだった。

 大木浩の「霞ヶ関外交の総点検」(サンケイ出版)なんていうのも読んだ。大木は外務省から80年に自民党所属の参議院議員になっている。後に、環境庁長官となり、COP3京都会議の議長をやったということで有名だけれども。その大木が82年に書いた本ということになる。
 今は戦後60年以上たつので、ちょうど戦後の半分の時点で見た外務省の課題が指摘されているけれど、日本の役所って、結局変わってないよな、という印象を与えてくれる。日本の外交が内向きだとか。
 大木は外務省の仕事を、明治時代にまで遡って評価していく。当然、太平洋戦争への評価も入ってくるし、その前の軍縮外交なども論じている。
 詳細は書かないけれども、外交をめぐる人物に対する大木の評価というのは、とりわけ戦後の首相への評価というのは、面白かったりする。というより、外交そのものの失敗よりは、人物そのものの力や思想が外交の結果をもたらした、というべきか。
 大木が京都議定書の議長となる環境庁長官に就任したのは、当時では「英語ができるから」じゃないのか、と悪く言われたりしたものだけれども、外交ということについて、それなりの見識を持っていたということはあると思う。結果として、大木は外交ではなく環境の分野で記憶に残る政治家となり、京都議定書の批准やヨハネスブルグサミットの時点では再び環境大臣になっているわけだが。
 思想信条としては、異なるものも多いけれども、政治家としての大木のスタート地点を見る上では、とても興味深いものだと思う。

 本間宇瑠男の「電力思想の解体と再生」(エネルギーフォーラム)も読んだ。仕事がらみではあるのだけれど、けっこう面白かった。まあ、著者と長年接してきたということもあるのだけれど。
 93−97年にかけて書かれた文章に、近年の文章を少し加えた形。当時は、電力自由化がスタートしたばかりであり、そこで地域の企業として、何を付加価値としてもたらしていくのか、ということが問われた時代でもあった。だから本間はしつこく企業メセナについても書くし、地域との対話も重視する。それは、単に電気を売る会社からの脱皮を求める、ということだったと思う。また、自由化によって、何より自家発電によって市場を奪われていくということにどのように立ち向かうのかも問われていた。事実、電力会社はその意味ではとても苦しんでいる時期でもあった。
 10年後の現在から見ると、電力会社は電気を売る会社から電気を安く売る会社になっていったことで、市場で一人勝ちをおさめた。原油高によって自家発電は縮小し、ガス会社もオール電化によって家庭の市場が奪われつつある。だが、結果として、電力会社は付加価値をもたらす企業にはならなかったし、そうした変革できなかったということが、柏崎刈羽原発における問題につながっていくのだろう。
 また、競争に負けた、とりわけ衰退が著しい自家発電代行会社もまた、付加価値をもたらすことができなかったし、そのことが新しいビジネスモデルをつくれなかったことにつながっているのだとも思う。
 結論はというと、電力思想は、皮肉にも、解体も再生もなかった、ということではないだろうか。

 ジョン・アンダーソンの「Live from La La Land」は、最近のソロ・ツアーのライブ。かつてイエスでボーカルをやっていた老人がギターの弾き語りで昔の曲に新曲をとりまぜて歌うという、なかなか枯れたものかというと、まあ、その枯れ具合が妙に新鮮だったりするという、そういうものだったりする。一人で舞台に立つ、バックには誰もいない、そういうツアーをするというのは、ジョンにとって新しい挑戦だったと思うし、そうだからこそ、というのはある。60代になっても、まだまだ成熟しない、そういう意志が感じられる。

 けれども、最近よく聞いているのは、トレイシー・ソーンの「アウト・オブ・ウッズ」だったりする。20年前の「遠い渚」と比べると、その間にエヴリシング・バット・ザ・ガールでさまざまな音楽をつくってきたという経験が、決してシンプルではない作品にしている。本質は変わらないけれども、そのためにはシンプルなギターだけじゃなく、いろいろな音が使えるっていう。なかなか心に沁みる音楽なのであった。

 2ヶ月ほど前、右足の親指の爪を剥がしてしまったのだけれど、ようやく新しい爪ができてきた。人間の回復力はそれなりにすごいものだと思う。この調子なら、手足どころか頭が取れても新しく生えてくるんじゃないか、と思う。