こちら葛飾区水元公園前通信703

 まずは連絡事項。
 今度の月曜日、6月4日、有楽町の交通会館12階カトレアホールで「とっておきの蔵元たち」という試飲会をします。ぼくは、森国酒造を手伝うことになっているので、ひまな方は飲みに来て下さい。8時くらいまでやっています。
 というぼくが、飲みすぎないようにしなきゃいけないんだけど。いや、試飲会の間はいいんだけれど、あとの二次会がね。

 そんなわけで、松岡農相は自殺するし、坂井泉水も亡くなったし、どっちがショックだったかっていうのは、きっとあると思う。ぼくは、正直、坂井だ。
 それはともかく、松岡の自殺については、厳しい批判が多い。死人になったって鞭は打たれる。死ぬことはないだろうとは思うけれど、生きていたところで、政治家生命は死に体だったのかもしれない。7月に逮捕と言う話があったけれど、そうしたら当然だけれど、自民党にとって参議院選挙は不利な展開になる。そうした状況でなお生きるというプレッシャーは強い。それでも死ぬことはない、とは思うけれど。

 ラース・キエデゴーの「地獄の家」(北星堂書店)は、タイトルを見るとなんか残虐なミステリーみたいだけれど、実は淡麗でコクのある犯罪小説といったところ。
 ストーリーはというと、裕福な投資家の家庭の一人息子が、誘拐されるというもの。とはいえ、この裕福な投資家のヘンリク・シニアは8歳の息子のヘンリク・ジュニアをいつも殴ってばかり。妻のアニタはそれを見ているだけ。シニアもまた、父親に殴られながら育てられた。けれども、それは愛の鞭というようなものではなく、弱いゆえに暴力の対象となる、というものだ。一方、誘拐する側はアナスとリーセの若い夫婦。アナスは10年前のヤバイ仕事のおかげでできてしまった100万クローネの借金があり、それを返すために、妻のリーセが誘拐を思いつく。
 ストーリーはそれぞれのカップルの視点で交互に語られ、ときどき、ジュニアの視点も入る。
 よくできた犯罪小説として、ページをめくる手が止まらないというのは、その通りで、読みやすいし、けっこう面白いんです。何より、猟奇的でも残虐でもなく、異常な人間も、まあ、出てこないというところで、すごく淡麗な感じなので、欧米や最近の日本のミステリーに食傷気味の人にはかえって新鮮かも、とも思うのです。
 コクがあるっていうのは、いろいろな読みができるんじゃないかっていくこと。明らかに、ジェンダーはテーマになっている。投資家の家庭は強い家父長制の支配のもとにある。しかもわざわざ丁寧に、近所の奥さんに「ヘンリク・シニアはセクシーな男性」だと言わせている。まさに、セクシーであることとマッチョであることがかぶるような言い方。それは家父長制に対する告発というだけではなく、そうしたジェンダーを女性もまた認めてきてしまったということを語っている。一方、アナスとリーセの夫婦では主導権を握るのは女性のリーセ。こちらの、できそこないのボニー&クライドといった行動にはとても笑わせられるけれども、でもそれはそれでうまくうっている。投資家の家が地獄の家だとすると、子供を拘束するアナスとリーセの家は森の中にある美しい家だったりする。泳げる沼もあるのだけれど、それも実はアナスがきれいに掃除をしたもの。どこまでも対照的なアナスとシニアなのである。
 この誘拐事件がどちらに向かうのかということだけではなく、この事件を通じて、地獄の家から脱出しようとするアニタの動きがそこに重なる。そのことによって。展開がどうなるのか、読者を引き付ける。
 ところで、いろいろな読みができるって書いたのだけれども、訳者たちはアニタに感情移入し、地獄の家からいかに自立するのかということを読んでいるのだけれど、それが女性の読みだとしたら、男性であるぼくや担当編集者はアナスとリーセの視点に移入していた。そこの人情話のような展開だけれども、それは家父長制の直接の被害者ではないというところがあるのかもしれない。
 ラストは、けっこう笑えます。読後感にこんなに嫌味が残らない犯罪小説っていうのも、めずらしいと思います。

 イトヒロの「草野球な人々」(オンブック)も読んだ。ほんとうに、草野球はいいよなあって思う。
 野球っていうスポーツはある意味、すごくバランスの悪いスポーツだと思っている。明らかにピッチャーへの負担は大きい。しかもプレーはピッチャーとバッターとの勝負が中心となっている。そしてバッターということになれば、指名打者制でもない限り、必ず9人にはまわってくるし、そこではどのプレーヤーも一人で対峙していかなくてはならない。
 しかし、そういったゲームの構造が、ドラマをつくりやすいというのもある。そして、そういったことこそが、野球をしてドラマをつくりやすいゲームにしているし、そこにこそ、プロ野球が支持された理由の一端があるとも思う。
 という前提で草野球を考えると、そこにはやはり、いろんなキャラクターが入る余地がある、ということになる。試合後のビールが目的という人から、元大リーガーまで。変なプレーだってたくさんあって、ボールをわしづかみにして魔球を投げるピッチャーなんていうのもいる。というのが、すごく楽しくって、ぼくも何年か前までは、昔いた会社の野球チームにいたので、すごくよくわかる。
 ほんとうにわしづかみで投げるピッチャーがいて、ぼくがキャッチャーだったんだけれど、このピッチャー、ストレートはボールを3本指で握るということが理解できなかった。まあそれはしょうがない。あまりにも遅い山なりの球だけれども、それゆえバッターは打ち気になる。そこで、大きくはずれたボールをなげさせると、不思議と2ストライクまでは空振りしてくれる。けれども、そこから先は打たれてしまう。さすがに三振はしてくれない。どうしてそういうピッチャーがいるのかというと、守備に期待できないから。同じイトヒロの「草野球超非公式マニュアル」(メタブレーン)に、ピッチャーはボールが投げられれば何とかなり、要はキャッチャーとショートだって書いてあった(ような気がする)から。
 とまあそんなわけで、読んでいて、ぼくはものすごく草野球がやりたくなってしまった。ほんとうに、しばらくやっていないので。いや、キャッチボールだけでもいいから、したいよなあって思う。
 けれども、実は一番草野球をしたいのが、著者のイトヒロだったりする。というのも、彼は2年以上も難しい病気を抱え、入院しているのだから。そのことがけっこうつらい。
 そういう人が、読むと草野球をしたくなるような本を書くのだから、反則である。いや、そんなことを言ってはいけないんだけれども。早く元気になって下さい、としか言えないよな。

 あと、野沢和弘の「条例のあるまち」(ぶどう社)を書評がらみで読んだ。千葉県には障害者を差別しない条例があるのだけれど、その制定までのドラマを描いた本。著者は情勢案をつくった県の研究会の座長であり、毎日新聞社の社会部の記者である。ジャーナリストが当事者として本を書いているわけで、そうするとジャーナリズムがいかに真実を伝えないものなのかということもよくわかったということである。野沢たちが研究会で最初にあつめた差別の事例は、読むと「けっこうひどいことされてるよな」って思う。現実に対して怒ってしまう。それから、条例案可決の壁となるのが県議会7割の議席を持つ自民党。賛成する議員もいるけれども、堂本知事に対する野党として、まずは反対する、という。そういう個人ではなく党の体裁だけで壁になるというのも、ちょっとひどいんじゃないか、というものである。

 本谷有希子の「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」(講談社文庫)は、最初こそとっつきにくかったけれど、変な人でまくりの話で、ラストのどんでん返しがあってと、けっこう面白かった。両親の急死によって東京で女優を目指していた姉が帰ってくる。姉の日記をこっそり読んで勝手にマンガにした妹をいじめたり、兄もいつの間にか結婚していたけれど、この義姉が不幸な生い立ちだったり、しかも兄は新婚旅行だと言ってこの妻を一人でエジプトに送り出したり、とまあそういうわけのわかんない展開。
 でもまあ、この小説は元々は劇として書かれたものだし、演劇というのはこういうテーマでずっとやってきたような気もするなあ、などとも思うのであった。いや、詳しく書くと長くなるけれど。

 今日は娘の学校のイベント。ということで、あとで見に行く予定。娘のクラスは今年は射的をやるということである。