こちら葛飾区水元公園前通信680

 会社を退職しました。
 とはいっても、まあ、フリーになったとはいえ、今の会社で引き続きバイトをしている。なんなんだよ、と言われそうだけれど、まあ、そうですね。グリーン電力の仕事に未練がないわけじゃないし。かといって、そこに100%というわけでもないし。とまあ、そういうことで、じゃあどうするんだっていうと、フリーライターとフリー編集者とフリーの日本酒営業代行というのをやっていくという。まあ、それぞれの仕事が固まるのに時間がかかるし、その間は、バイトです。いや、グリーン電力はそれなりに化ける可能性もあるので、ずっとやりたいのだけれども、まあ、どうなることやら。
 とまあ、そんな状態です。とりあえず、「資源環境対策」の連載しか、仕事、ないです。

 などと言いつつ、デジタルメディア研究所の忘年会などに参加し、まあ、飲んでたわけです。いろいろと、収穫もあったし。まあ、それはそれとして、ですね。

 そんなわけで、帰りの電車の中で、桂文我の「落語「通」入門」(集英社新書)なんぞを読んでしまいました。おもしろかったです。落語の元祖っていうと、三笑亭可楽って思っていたのだけれど、もっと遡れるっていうことも知りました。三遊亭円生が50過ぎてようやく評価されるという話なんかを聞くと、まだまだだよなおれも、とか思ったりします。
 ところで、文我というと、やはり「えほん寄席」。何かというと、朝の7時30分からNHK教育で「テレビ絵本」という番組をやっていて、これはけっこう好きなのだけれど、そのコンテンツにときどき「えほん寄席」というのがあって、落語を5分で演じてくれる。しかも、絵本のノリで。これの監修が文我だったりするのです。そんなわけで、ちょっと親近感を持ったりしていたのでした。

 近藤ようこの「兄、帰る」(小学館)は、すごく感じるところがありました。ひさびさの新作なんですけれど。近藤については、以前、インタビューをしたことがあって、「次の作品は失踪するんです」ということまでは聴いていたのですけれども、兄だけじゃなかったというのは、ちょっとやられました。
 兄は失踪するわけで、その足跡を追って、妹や婚約者が訪ねていくという話なんですけれど、結局のところ、いろいろ苦労したところで、でもそれは本人が選んだとすれば、それで認めなきゃいけないだろう、っていう、そういう話なんです。つまり、どのように生きるのかは自分で「プライド」を持って選んでいるので、それに対する同情は余計なお世話、というか、同情するより生き方を認めてくれないと、息苦しいという。
 そうかもしれません。何だか、ぼく自身も、そういう生き方しかできないんだよっていう、そんな意味もこめて、なんですけど。

 ジャン・エシュノーズの「ピアノ・ソロ」(集英社)は、笑えました。エシュノーズは、嫌いな作家じゃない、というか好きなんですけど。ただ、乗れないときもある(例えば「チェロキー」)という。
 今回は、浮気性の間抜けなピアニストが天国に行くという、そういうすばらしい話で、まあ、そのノリが好きです。

 ジャン・フィリップ=トゥーサンの「逃げる」(集英社)はどうかっていうと、こっちはもっと好きな作家。今回は上海に逃げていて、そこでかつての恋人の父親の死を知って、フランスに戻るんだけれど、まあ、そこで、結局は逃げられないことを悟ってしまうという。そのやるせなさが、好きです。

 それにしても思うのだけれど、「低俗霊Daydream」の場合、どうして主人公はいちいち女王様のかっこをしなきゃいけないのか、その必然性がないというところがすごいですね。
 おかげで、毛の生えていない女性が出てくる夢を見てしまいました。