こちら葛飾区水元公園前通信866

tenshinokuma2017-11-27

 こんにちは。

 仕事が文筆業からコンサルタントになりつつあります。どうしてそうなったのか、よくわからないのですが。謎の人ですね。
 いや、まあ、いいんですけど。

 まず、業務連絡。今年の忘年会は、12月29日にします。いつもは友人Wにあわせていたのですが、今年は30日に予定があるので。
 28日にもうちにいますので、Wさんはどちらでもどうぞ。

 先日、かかりつけの医者が(高血圧で月に一度行くのですが、診察よりも雑談の方が長いという)、「このあいだ、上場企業の役員という60歳くらいの集まりに同席したんだけど、この人たちが何を話していたかっていうと、結論は「立派な大人になりたい」っていうんだよね。いい大人なのに。でも、先日、深夜に緊急でよばれたあと、眠れなくって、テレビで「ルパン三世」を見たんだけど、ぼくもこの年になって、やっぱり不二子ちゃんのおっぱいがいいなあ、とか思うんだよね。人間、本質は何歳になっても変わらないのかな」と話していました。ぼくも変わらないですよ、不二子ちゃんの脚が好きだし、と相槌をうちましたが、「こじらせ高校生アニメ」が好きだとは、とても言えませんでした。
いや、まあ、いいんですけどね。

 今年、最後のトレッキングは、高尾山でした。
 11月のトレッキングというのは、今まではあまり行かなかったんですけどね。というのも、日没が早いので、どうしても時間に追われてしまうという。
 でも、今回は、たまにはまったりと紅葉を見たいなあ、ということで、いつもはあまり通らない、3号路、4号路、5号路を散策しました。行ったのは11月24日。同行してくれたのは友人S.平日にもかかわらず、休日の谷間なのか、人が多かったです。といっても、多いのはメインルートの1号路だけで、3−5号路は、人は少なかったです。
 4号路は吊り橋のあるコース。北側の落葉樹林をのんびりと登りました。
 5号路は山頂の周回コース。でも、途中で路をまちがえてしまい、薬王院に出てしまいました。でも、おかげで、いままで知らなかった弁天様に出あうことができて。結果オーライです。
 3号路で降りたのですが、こちらは常緑樹林。ときどき日光がさしてくる、そんな中を歩きました。
 ときどき、見事な紅葉に出会ったり、そんな景色を楽しみました。秋なので、虫は少なかったな。でも、鳥の声はけっこう聴いたか。
 で、下山後には、高尾山口直結の温泉、極楽湯。ぬるめの露天風呂から紅葉した山が見られて、なかなか至福の時間でしたね。
 風呂上りには、帰りの電車で途中下車して、おいしい魚とお酒をいただきました。
 来年のトレッキングは、また3月くらいから再開したいな、と思っています。
 新緑の丹沢や高尾かな。ひそかに、足利の織姫山も考えているところです。

 クリストファー・プリーストの新刊「隣接界」(早川書房)を読みました。
 長年のプリーストのファンから言わせてもらうと、うーん、トシかなあ、と。これまでのプリーストの小説に出てきた要素がつめこまれて、いろいろとプリーストらしいしかけもあって、ラストもまたプリーストらしさがあるのに。それがかえって寄せ集め感があって。「魔法」や「奇術師」や「双生児」に遠く及ばないなあ、と。だって、奇術師もパイロットも夢幻諸島も出てくる。
 プリーストの描くことって、世界は主観の数だけあるっていうところかな。でも、だからこそ、世界が確実にある、とは限らない、そんな不安がつきまとう。プリーストの描くロマンスもまた、そういった不安の中にある。そんな感じが、好きではあるのですが。というか、今回もロマンスの部分は好きですけど。女性パイロットの冒険と整備士の男性という組み合わせ。看護師の妻とすれちがうカメラマンの夫。互いが違う世界を通り抜けて出会う、あるいは再会する。不安の果てに出会うのって、なんか、じーんときます。

 過士行の「会うための別れ」(晩成書房)は、文化大革命をほぼ背景とした短編集。過はむしろ劇作家なのですが、ちょっと短編小説の脇道に来てみましたという。今はまた劇作に戻っているようで、この本の8編が小説の全作品とのこと。
 過は文化大革命のときに、黒竜江省で過ごした経験があり、そのことがリアルに描かれてもいますが、劇作家らしいトリッキーなところも見られて、面白かったです。表題作の背景には、地方に行ってそこで結婚したら、都市に戻れないので、どうやって偽装離婚するのか、という話なのですが。皮肉な結末が待っているという。「傷心しゃぶしゃぶ」なんて、どんな話かって思うでしょ。小説で下半身を元気にして殺すという「スマート殺人」、セックスを代理人ですますって、気付くとそれ売春じゃないかっていう「本人様ですか?」。もっとも、書かれた順でいくと、演劇的なトリッキーさからリアリズムに向かっているのですが。
 なお、晩成書房の本、アマゾンでは扱っていないということです。

 でもね、今月、一番良かった本は、モーリス・センダックの「わたしの兄の本」(集英社)。センダックは、ぼくがもっとも好きな絵本作家。「かいじゅうたちのいるところ」はすごく有名だけど、ほかにもたくさん。
 「わたしの兄の本」は、先に亡くなった兄のジャックとガイの二人が登場する。ガイがモーリス自身なのかな。うまく説明できないのだけれども、ジャックが天に召されていく、そのゆるやかな時間と記憶が、絵の中に込められていて、じんわりときます。
 センダックには「ジャックもガイもみんなホームレスだった」というマザーグースをもとにした絵本もあるんだけど、そのジャックが兄だということには気付いていなかった。
 センダックの絵本は、知らない間にもう2冊出ていて、うち1冊はジャック・センダックが文章という本。これらも買ったのですが、まだ読んでいません。

 サンフランシスコの慰安婦像が話題になっていますが。韓国でもそうなのですが、慰安婦像に対する日本の対応というのは、ほんとうに醜いなあって思います。とにかく歴史から消したいし、そのためには歴史をねじまげもすれば、お金で解決しようともする。でも、謝罪は歴史に残るのでやらない。
 この問題に限らず、南京大虐殺にせよ、あったとかなかったとかではなく、日本政府が歴史を検証し、歴史家が時代の中で犯罪として位置付けることを認める、ということをしなければ、終わらないと思います。旧日本がどれほどの国だったのか、きちんと検証し、そのことを残していく必要があるし、その過程で、悲劇を忘れないためにも、慰安婦像はあるべきだと思います。
 負の歴史を認めることができないというのは、子供なのではないか。その意味では、日本というのはマッカーサーが感じたように、12歳なのかもしれません。

 では、おやすみなさい。