こちら葛飾区水元公園前通信702

 明日、図書館の映画会は「紅の豚」なので、見に行こうか、と息子と話していたのだけれど、なぜか今日、日本テレビで放映している。じゃあ、明日は、どうするか。

 東京ヤクルトは最下位独走中のまま、交流戦に突入、勢いのなさは継続中。野球中継を見ないですむからいいなあ。

 子どもの頃、将来なりたかったのは、バカボンのパパだった。毎日おばかなことをして暮らしていて、「これでいいのだ」ですませてしまう。死ぬこともない。
 そんなことを思いながら、武居俊樹の「赤塚不二夫のことを書いたのだ!!」(文春文庫)を読んだ。
 武居は少年サンデーの記者で、「レッツラゴン」にはデカ鼻の武居としてもはやキャラクターになっていた。武居は入社早々、赤塚の担当となり、「おそ松くん」の製作に引きこまれる。後に、「レッツラゴン」につながるわけだけれど、当時小学生のぼくは少年サンデーを購読していたので、よく覚えている。
 ぼくの子供時代は、本当に赤塚不二夫に影響されている。「おそ松くん」も「もーれつア太郎」もアニメでよく見た。「おそ松くん」のアニメを赤塚が気に入っていなかったというのは、この本で初めて知ったけれども。
 でも、ぼくにとって、ほんとうに幼ないぼくにとって、「天才バカボン」はすっかり沁みこんでしまったマンガでもある。当時のマガジンのギャグマンガといえば、ジョージ秋山の「パットマンX」や「ほらふきドンドン」だったりする。でも、「天才バカボン」の方が圧倒的に破壊的だったな。
 「レッツラゴン」は、シュールすぎて、だからどうしたのって、そういう気もしないでもないけれども、それなりにぼくの一部になっている。おかげで、ほんとうに誰も理解できないギャグというのが、ぼくのどこかにいつもあって、困っている。
 というようなことなんだけれど、本としてどうかっていうと、赤塚のそばにいて、それでおばかなことをさんざんしたっていうことも書かれているけれども、でもほんとうに、そこにいて書いたという、それだけなんじゃないかっていうのはある。つげ義春の言葉がきっかけで、貸し本マンガを描こうとして、大きく進んだっていうのは意外だったりするけれども、でも。
 本当に、ひさびさに赤塚のことを思い出したし、赤塚がぼくの中にすっかりとけこんでいることも。とはいえ、何年か前に、「天才バカボン」を読み返したとき、そのギャグのテンポがものすごくゆっくりだったことには驚いた。その後、ものすごくスピードの速いギャグになれてしまっているということも事実なんだけれども。
 それでもやっぱり、子供の頃、バカボンのパパになりたいと思ったことは、それは忘れていない。

 加門七海の「うわさの神仏 其ノ三 江戸TOKYO陰陽百景」(集英社文庫)も読んだ。続編というより、もっと便利な都内のスポット案内っていう感じ。まあ、実際に親本の版元もタイトルも違うんだからしょうがないけれど、まあ、読んで楽しいというより、出かけてみたくなるっていう、そういう本。近所のしばられ地蔵もあるし、駒込の会社の正面にある富士神社も。

 あと、必要があって、谷川流の「涼宮ハルヒの憂鬱」(角川スニーカー文庫)も読んだ。まあ、何ですね、やっぱり大風呂敷かげんは、確かに重要かも、とは思った。

 ついでに、書評がらみで、永田十蔵の「わが家でできるこだわり清酒」(農文協)とか。ほんとうに、梅酒みたく、清酒もつくれてしまう、らしい。でも、そういうこともすごいけれども、ぼくは酒税を払うことなくお酒を飲むという、そういうアナーキーさが密造酒にはあって、いいなあって思う。

 お酒といえば、「神の雫」の11巻も読んだっけ。

 先週の土日は仕事だったので、疲れ気味。
 でも明後日は、町内会のクリーンデーである。組長はさぼるわけにはいかない。

 mixiの足あとが、昨日はやたら多かった。日記に「セクシーボイスアンド電王」なんて書いたせいか。でも、人質立てこもりの話だからって、放送中止っていうのも、事勿れ主義すぎるっていう話でもあるんだけれども。
 やって批判されるよりは、やらないで批判されるほうがいい、そういうものかもしれない。つまんないけどね。ぼくは、やだけど。