こちら葛飾区水元公園前通信673

 高等学校の必修科目の未履修問題である。
 まあ、救済策とか出されているけれども、でも、今回の提案はどうなんだろう。
 ぼくはきちんと履修すべきだと思っている。おそらく、家庭科にしたって、これから生きていく上では欠かせない知識だと思うし、そうした教養を身につけるというのは、高等学校の教育としてけっこう重要なんじゃないかって思う。ましてや、世界史未履修とか、どうなのよっていう。
 だからといって、今更、卒業できませんっていう話にはならないだろう。だとすれば、暫定的に卒業し、通信制度で卒業後に単位を取得すればいいのではないか、と思うのだが。

 福島県知事に続いて、和歌山県知事も辞職。
 思い出すのは韓国の大統領。大統領が変わると、必ず前の大統領の不正疑惑が持ちあがった。
 考えてしまうのだけれど、権力を持つと腐敗するのではなく、実は腐敗しないと権力が維持できないのではないか。どうなんだろう。

 というようなわけで、市野川容孝の「社会」(岩波書店)を読んだ。思考のフロンティアのシリーズとしては、通常よりも厚い本で、おかげで予告から1年以上遅れたんじゃないかっていう。
 市野川の問いかけは、2006年現在、「社会」という名前を冠した政党が凋落したという状況への問いかけからはじまる。日本で社会(科)学という言葉が登場したのは、1920年代。決して歴史は深くない。そしてこの時代、社会という名を冠した政党が登場するが、むしろ政治権力が恐れたのは、社会主義ではなく民主主義であった。それは大日本帝国憲法、主権が天皇にあるっていうことに反するから。
 こうした日本の状況からさらに遡って、ヨーロッパで社会(科)学がどのように誕生したかにせまっていく。ルソーを軸に展開していくという。
 ぼく自身のアタマの限界があって、なかなか読みこめていないのだけれど、本書のポイントの一つは「平等」ではないか、と思う。
 社会というのもがいかにして平等を実現していくのか。あるいは不平等を認めていくのか。そのことは、国境を越えるものなのかどうか。
 そもそも論に入ってしまえば、自然の状態が平等なのかどうか、といった議論すらある。
 また、人には能力に差があり、それが結果の平等につながるように再分配することはどうなのか。そこに能力に優劣をつけないとしてもなお、障害者はどうなのか、という問題は出てくる。経済の面で分配されたとして、意思決定が保証されるのかどうか、上野千鶴子らが「当事者主権」で主張してきた問題でもある。
 国境の問題で言えば、エイズ治療薬という事例がある。WTOでは、特許権を盾に、コピー薬を禁止しようとした。しかし、命を救うのに経済的な差別があることが問題視され、結局、コピー薬は認められるようになった。国境を越えて分配を可能にした事例である。
 社会が公正に分配したところで、そうした社会が均質なものを求めていくのかどうか。そこに排除の論理がはたらく限り、受け入れられない。
 グローバル化という言葉の前に、「資本」の忠誠が国民国家に対して希薄になる一方、多くの国民は国民国家に拘束される。こうしたことが、国民の負担を大きくし、福祉国家というスタイルから離れていく。このことがナショナリズムを肥大させる素地をつくっている、ということになる。こうした状況に対し、市野川は、エイズ治療薬で実現したように、国家間で足並みをそろえて行かないと、資本が支払うコストが適正なものにならないという。
 そうした筋道を考えながら、「平等」を実現していく「社会」をいかにして構築していくのか。けっこう大きなテーマということになる。
 本書は、思考のフロンティアの第2期全巻を意識して書かれているし、また社会的なものを各テーマに即して論じることも可能だという。そういう意味では、シリーズの要になる本かもしれない。「社会」というテーマでどんなことが論じられるのか、予想がつかなかったのだけれど、けっこうストレートにきたな、という感じ。小森の「レイシズム」が変化球だったからな。

 ということとは、関係があるようなないような。
 徳弘正也の「バンパイア」の5巻で、昭和編が終わった。けっこうあっけないラストだった。不満がないでもない。でも、徳弘が述べているけれども、主役は十文字のようだ、というのはそうなのかもしれない。正義を実現しようという思想が周囲を抑圧していく。単純な理想社会が、排除の論理によって成り立つ、あまりにもまんまだなって思うけれども。
 そういや、「ワンピース」における海軍も、正義を背負っている。抑圧する正義に対しては、アナーキーになるしかないのだろうか、とも思う。狂四郎もバンパイアも、社会の外側で生きていこうとする。
 ぼく自身、アナーキーなものにひかれてしまうというのもあるな。

 関係ないけれど、ジェイムズ・サリスの「ドライブ」の主人公の気持ちもわかる。よけいなことにはかかわりたくない。運転だけはきっちりとするからっていう。本当に、本質ではないことに巻きこまれたくないなあって、思ったりするのであった。

 ジョン・アンダーソン(Jon Anderson)の「Animation」がようやくCDになった。これだけがずっとCD化されていなかったのだけれども。ネットで署名集めまでしてたんだよな。今回は、ジョンのサイトから販売サイトにとんで、そこで買えるというものなので、ネットで買ったのだけれど、ポンドで決済したのは初めてだな。
 これも20年以上前の作品なんだよな。シングルカットされたのは「Surrender」で、世界中の武器を放棄しようっていう、それなりに脳天気な素敵な歌だったのだけれども。今回はそのB面も収録されるということ。
 しかしまあ、新しい音楽って、あいかわらず、聞いていないなあ。