こちら葛飾区水元公園前通信654

 庭で取れたジャガイモがほんの少しだけどあったので、夕べはカレーを作った。ルーを薄めにして、かわりにカレー粉を入れてちょっととろみを少なくしたり、すりおろしリンゴや余っていたバナナを入れたりした。ごはんはインディカにしてみたのだけれど、香りはなんか枝豆みたいだったな。そんなんで、まあ、けっこう満足したのであった。ナスを入れたら、娘はそこだけ残したけれど。

 「ブラックジャックによろしく」のがん病棟編を読んだのだけれど、なんか鬱々とした気持ちになってやだな。かなり年配の知り合いが、「末期ガンと診断されて向かったのは、病院ではなくコンサートホールでした」ということで、無事ステージはこなしたらしいけれども、そんな話を聞いたりしていると、なんか、やだなあ、と。そうじゃなくても、たまたまなんだけど、昨年は闘病系の本を読んだりしたし。身近にガンになった人もいたしなあ。
 それはそうとして、主人公が「ぼくはガンで死にたい」って言うのはどうなのかなあっていうのもあった。確かに、すぐに死ぬという病気ではないし、残された時間の中で自分の人生をクローズできるのかもしれないけれども、でもそれはそれでしんどいかもしれない。

 梅田望夫の「ウェブ進化論」(ちくま新書)を今更ながら読んだ。それなりにおもしろかったけれども、ちょっとweb2.0を美化しすぎっていうのはあるかも。
 橘川幸夫という人の文章をずっと読んでいて、インターネットについて出てくるのだけれど、そこでは情報のコストは発信する側が払うというもの。広い対象に向かって文章などを公開していくのだけれど、そのことにインターネットは誰でも参加できるようになった。コストが下がることで、誰でも参加できるという。それはその通りで、ぼく自身おWeb1.0どころか0.2ぐらいのところでHPをつくっているわけだし。その結果、限られた人だけしか発表できていなかったものが、そうではない人のものにもアクセスできるようになった。優れた文章が100分の1しかなくても、1000倍の人が参加すれば、それは優れた文章そのものの量が圧倒的に増えることになる。
 グーグルがえらいのは、その文章を検索し、使えるようにしたこと。
 アマゾンのロングテールというのもなるほど、とは思う。ネット販売であれば、店舗販売と違って多種の在庫を置くことが出きる。これによって、年に1冊しか売れない本なんかもそれなりにアマゾンにとってはビジネスになるという。そしてこれを支えているのが、読者による書評の書き込み。そこでひっかかることで、本が買われる。
 ただ、ロングテールにはちょっと疑問もある。出版者サイドとしては、年に1冊しか売れない本じゃ商売にならないんだよなあ。まあ、そういう意味では、オンデマンド出版というのは、ちょうどいいのだけれども。
 アフィリアイトビジネスがどうなのかっていうのもある。クリックしてわずかな収入であっても、数が多ければそれなりにビジネスになる。たぶんそうなんだろう。
 だからといって、ブログに広告をはりつけても、それだけじゃ暮らせない。よほど読まれるブログを書くより、ライターの仕事の方が効率がいいし。もっとも、ライターになるのは楽じゃないけど、ブロガーは誰でもなれるっていうのもあるな。
 インターネットって儲かるのだろうか。多分、あまり儲からないんじゃないかって思う。儲からないけれども、生活を豊かにしてくれるし、さまざまなアクセスが可能となる。わからないことはすぐにグーグルで検索できるし、マイナーな本もすぐに買える。あるマイナーな作家のことを調べようとしたら、ぼくのHPしか出てこなかったとか、そんな笑い話もあるのだけれども。
 先日、ある蔵元とロングテールの話をしていたのだけれど、日本酒の銘柄もやはりロングテールにあるものがほとんど。でも、それはすごく質の高いロングテールだし、それはネットではなく店頭販売でやっていかなきゃいけないもの。それじゃ、Webじゃないよって言われればその通りなのだけれども。でもワインの和泉屋でも最近は伸び悩んでいるっていうし、まだまだ対面コミュニケーションは必要とも思う。
 オープンソースについては、こうした発想ってもっとやってもよかったかなあと、ちょっと反省していることがある。そういえば、オープンソースを使って低コストでシステムを作っている会社を訪問したこともあったっけ。まあ、それはともかく、商店街活性化策みたいなものも、オープンソースにできたら面白いかもしれない、などとちょっと考えてみるのであった。
 そんなわけで、はてなにブログをつくってみたりしたのであった。

 村上龍伊藤穣一の対談、「「個」を見つめるダイアローグ」(ダイヤモンド社)も読んだ。これもけっこう面白かった。ネットは基本的に儲からない人が支えているって。
 それはそうとして、ネットによって「個」が「国家」というものでひとくくりできないことは明かになったというのは、そうなんだと思う。そのことを、きちんと意識することで、「空気」に流されないですむということもあるんだろうな。
 梅田が「ウェブ進化論」を書いたきっかけの一つが9・11だったわけ。そこで何も変わらない日本を見てしまった。でも、本当なら変わる要素は揃っていたし、そこを越えて新しい世界ができるはず、っていうのが伊藤や村上の話なのではないか。
 インターネットっていうのはそういうものだと思うし、だから豊かになれるけれども、儲かるわけじゃない。
 まあでも、ぼく自身についても、儲けたいとは思うけれど、でも社会が豊かになれば、そこそこ儲けて生きていければいいなあっていうのはある。お酒の仕事をしていていいなあって思ったのは、お酒そのものという文化を残していくこと、それを発展されることが、社会を豊かにすることだったし、その結果として収入がついていくるって思っている。そういう意味では、「食」に関わっていると面白いっていうのは、今でもある。
 個人主義については、もう少し書きたいことがあるのだけれども、今日はここまで。
 なお、ぼくは個人主義者です。わがままで勝手なだけっていうのはあるけれども。