言葉から立ち上がるもの

tenshinokuma2009-09-11

 今、保坂和志の小説論「小説の自由」「小説の誕生」「小説、世界の奏でる音楽」を読んでいる。もう、三冊目のところまできている。
 どういう本なのか、簡単に説明できないし、まあ、できれば保坂も苦労しない。
 ということで、自分で思うこと。
 ぼくは保坂とちがって、一日中小説のことを考えているわけではないし、それどころか考えない日の方がずっと多い。でもまあ、書いたことがないわけじゃないということは、ぼくのホームページを見ればわかることだ。
 それでも、ぼく自身は言葉をつなげていくことを仕事にしている。べつにとくべつなことではなく、たぶん、スタジオミュージシャンとかがスコアを渡されて、これでお願いしますというのを上手にこなす、ということなのだろうけれど、まあ、そこにはそれなりに技術はいるかもしれない。
 そういう仕事であっても、ときどき、言葉が立ち上がってくるということがある。そうすると、うまくできたなって思う。
 それとは別に、トーキングヘッズのために書いている文章は、仕事ではない。でも、それはとても大切なものなのだけれども。そこでは、小説とかエッセイとか、そういうものからできるだけ自由なスタイルで書こうということを、ずっと思っている。それでも、できることは限られているのだけれども。保坂和志について書いたときは、ほんとうにぐだぐだと書いてみたりもしたっけ。
 小説とは何か、と言われても困るけれど、まあ、言葉で何を使えるのか、そこから立ち上がってくるものっていうのは、すごく大切なものだと思っている。そうであれば、正直なところ、「小説」であるかどうかは、問題じゃない、とも思う。
 そういうところに自分の文章を置いたときに、それが小説だったらいいな、とも思うのだけれども。

 写真は、近所の新しいラーメン屋のとんこつラーメン。お店の名前が拉餃びーといって、ラーメンギョーザビールの略。ストレートである。彩りを与えるため、紅ショウガも乗せてみた。
 何も乗っていない写真はこちら。
http://d.hatena.ne.jp/MARUHOPPE/20090907