こちら葛飾区水元公園前通信858

tenshinokuma2017-06-08

 こんにちは。
 お元気でしょうか。

 相変わらず世間は、共謀罪加計学園に山口某の準強姦事件と、絶望的な気分になるニュースばかりですね。
 こんな状態なのに、内閣支持率が高いなんて、みんな頭がどうかしてるよ、と思ったりもします。

 それはさておき、5月のトレッキングは、埼玉県飯能市天覧山でした。ここは以前、友人Wと登ったことがあるのですが、その先に行ったことはなかったので。
 天覧山そのものは、10分もあればのぼれる、標高200mにも満たない山です。
 で、その先にある、多峯主山を目指すことにしました。
 途中、谷というか湿原というか、なかなかすてきな場所があって、カエルの声がしみわたる、そんな空間でした。
 でも、多峯主山までも実は1時間もかからない。で、周辺にある雨乞池をまわってみたり。
 えーと、すでに気付いていると思いますが、この池なんかも、もちろん「山のススメ」に登場します。
 近場で、手軽な山の散歩で、雰囲気もいい、ということで、ここは小さい子どもを連れていくにはおすすめです。
 ぼくとしては、時間があまったので、いちど山を下り、川を渡って反対側にある龍崖山にも登りました。ここもさして高い山ではないんですけどね。ただ、道があまりよくないので、おすすめしません。
 飯能市はきれいに整備された公園もたくさんあり、下山後も公園をめぐるルートで飯能駅をめざしました。途中、米菓工場の直売丞で割れたせんべいを買いこんだりとかもしましたけど。
 実は、この日と翌日は、飯能市のツーデーマーチ。で、途中からは、ウォーキングのコースを示す矢印にしたがって歩いていました。翌日のコースだったので、歩いている人はいなかったんですけど。
 で、帰りには清瀬で途中下車して、東京新聞で紹介されていた銭湯、伸光湯へ。

 萱野稔人の「カネと暴力の系譜学」(河出文庫)を読みました。
 国家だけが暴力を独占している、という話からはじまって、ヤクザとの相同性、構造、その他、いろいろ語られます。
 国家だけが暴力を独占しているっていうのはどういうことか。戦争も死刑も政府が行うなら承認される。たとえどんな極悪な犯罪者に対してでも、一般人が勝手に殺したら、殺人じゃ成り立つ。
 ヤクザと何が同じか。お金をめしあげる。税金はみかじめ料かよ、っていう話。
 税金を払うことで、国家にそれなりに保護されている、のかもしれない。
 本当は、暴力を独占している国家、というか政府だからこそ、制約ももうけなきゃいけない。そうしないと、行政府はやりたいほうだいになる。
 北朝鮮と日本のそれが同じだっていうのは、そういうことでしょ。でも、どちらの国の国民も、外に目が向かないから、それでいいものだと思っている。
 後半は資本主義の話。資本主義は国家に依存しているとのこと。ここは少し考えどころだな。
 ということで、この本は、おすすめしておきます。

 夏目漱石の「草枕」(岩波文庫)も、前から気になっていたので、読みました。笑っちゃうほど格調高い文体です。いろいろな昔の言葉が出てきます。主人公にとって、この世は住みにくいのですが、画工(画家)という職業も関係するのでしょう。さりげなく戦争を批判し、俳句をよみ、漢詩をつくり、西洋の美術におもいをはせる。
 夏目自身、住みにくいと思っていたんだろうなって思います。理由は、彼が同調しない人だから。夏目漱石は、実は孤高の作家なのではないか、と。
 英国に留学した経験から、自分は自分であるというのを確立した夏目は、当時の日本社会のモラルに対する違和感があったんだと思う。それが、その後の「門」や「こころ」や「明暗」になっていったのかもしれない。
 村上春樹は「こころ」のどこがいいのかわからないそうだけれども。実は、まったく逆なんじゃないか、という気がしないでもありません。村上の日本文学に対する距離とでもいうのでしょうか。

 久しぶりに演劇を見ました。
 劇団「阿彌」の「阿彌南陀無」。場所は、北区豊島にあるシアター・バビロンの流れのほとりにて
 ふと、演劇をやっている知り合いを思い出して、検索してみたら、たまたま5月末の公演に出演していたので、これは見に行こう、と。
 それに、タイトルを見て気付いたと思うけれど、モーリス・ブランショの作品がもとになった芝居ということでも興味が。ただし、実際には「死の宣告」がもとになっているんですけどね。
 能を取り入れた芝居は、静謐でな空間。主人公は女性の死に立ちあうわけですが、死に向かいつつも、生が折りたたまれていくように、濃密な時間になっていく。その死を、舞台の上では、死にゆく姉に対する妹が、主人公に問いかけていく。
 死にゆく濃密な生、というのでしょうか。そのことが通りすぎていく、そんな芝居でした。
 ところで、「死の宣告」はうちにあったかなあ? 河出書房新社の本だったと思うのだけれど。
 って、探してみたら、なかったですね。

 ではまた。