こちら葛飾区水元公園前通信844

tenshinokuma2016-06-16

 おはようございますです。
 なんだか、1年も半分がすぎてしまいますね。

 お知らせから。
 毎日新聞出版から、今勤務している会社のCEOであるチェ・ジョンウンとの共著「電力・ガス自由化の衝撃!」を先月末に出版しました。
 6月6日には、日経と朝日の朝刊に広告が載ったので、見た人もいるかもしれません。
 まあ、そういうことです。ご関心のある方はぜひ。
 
 今月は、ひさしぶりに、下北沢の劇場で舞台を見てきました。純粋に演劇というわけではなく、ダンスと短い芝居の組み合わせ。かもねぎショットの「新新赤と白」という作品です。
 ほぼコントのような演技と、ダンスが交互に、ときに重なる舞台は、なかなかおもしろかったです。歌もあったし。衣装も、不思議なトーンを出していたな。
 2時間弱、特別な空間をつくり、フィジカルなダンスと芝居がもたらす笑いが人を元気にする、といったところでしょうか。なかなか説明が難しいのですが。

 でも、どうして見に行ったのかというと、同窓会で誘われたから。隣のクラスに、後に第三エロチカの役者になる人がいたなんて、思わなかったし。
 芝居は好きではあるけど、ここ数年は、きっかけがないと足を運ばないので、まあ、ちょうどよかったんですが。だって、その前に見た芝居は、やっぱり下北沢だったけど、昔かかわった出版社の方が出演する舞台だったし。

 たまには、芝居を見たり、コンサートに行ったり、寄席に行ったりしないとだめですね。
 それって、オフィスワークばかりしていると煮詰まることと似ているかも、です。
 ノマドワーカーですから。

 大塚英志の「二階の住人とその時代」(星海社)を読みました。
 大塚がジブリの広報誌「熱風」に連載したエッセイ。2階っていうのは、徳間書店のビルの2階のこと。アニメージュの編集部などがあった。
 ここに出入りしていた人たちを追いながら、80年代の、アニメカルチャーと「おたく」とはまだよばれない人たちのことが記録されている。大塚が、自分のルーツのひとつを語りながら、時代の証言として残したものっていうのは、やっぱり読んでいておもしろいなあ、とは思う。
  ぼくは大塚とは逆に、大学時代だけを地方で過ごした。その意味では、何かとおくから触っていたものだなあ、と思う。だから、本書も、ぼくにとっては、面白いだけなのかもしれない。
 それから、ぼくが「宇宙戦艦ヤマト」も「機動戦士ガンダム」もなぜ好きになれないか、見ようと思わないのか、そんなこともあらためて確認できた。戦争アニメの政治性が、なにか気持ち悪いんだろうなあ。別に、ロリコンなわけでもないし。
 Y君には、「漫画ブリッコ」を買いにいかされたっけ。

 菅波完の「日本会議の研究」(扶桑社)も読んだよ。
 けっこう売れている本なのですが。
 日本会議というのは、明治憲法の復活を目指すといったあたりのことを信条とする団体。街宣しているガチウヨクと異なり、わりとふつうのおじさん。でも、かつての学生運動に対するカウンターとしてのウヨク学生運動がひとつのルーツ。母体は「生長の家」という宗教団体なのだけれど、代表が代替わりしてからは、「生長の家」は政治活動から遠ざかり、初代代表の思想を受け継ぐ形で日本会議がある。特別な力があるわけではないのに、高い事務能力ゆえに、ずっと続いており、安倍晋三周辺が会員になっているという、影響力の強さがある。
 思想的には、中身はないに等しい、のに。
 ぼくの頭の中にずっとあったのは、どうして明治憲法を復活させたいのか、ということ。それで何かいいことがあるのだろうか? と。
 元号も国旗も国家も法制化されたけど、それで困ることはあったとして、いいことはあったのかな、とか。
 選択的夫婦別姓に反対しているけれども、選択でもダメって、何それ? みたいな。
 あまり、日本会議の会員の頭の中身には触れてなかったかもしれない。
 ただ、ある種のアイデンティティを取り戻したいのかな、とは思う。日本国憲法を認めがたいのは、それが敗戦とセットになっているからなのかもしれない。あるいは、憲法のかわりに民主主義でもいい。
 ということは、取り戻したいのは、敗戦がなかった歴史なのかもしれない。
 中身のない日本会議だけれども、その中身のなさ、というか、敗戦のない歴史を取り戻したいというようなナイーブさが、経済至上主義の経済界と相性がいいんだと思う。まあ、そういった志向の経営者に、日本は困らないからな。
 国家がなければ、国民はないのだから、国家のために国民は義務を持つべきでしょ、ということと、経済が良くならなければ貧困は解消されないのだから、我慢が必要でしょ、という論理は似ている。武力でも経済でも中国が攻めて来たらどうするの、という、脅迫。
 このわかりやすい脅しにたいし、「わかりやすく」反論することは難しい。難しいから、人は愚かになる、のかもしれない。
 でもね、国民主権だし、健康で文化的な生活をする権利があるんだけどね。

 舛添都知事が辞任した。
 舛添をかばうつもりはないけれども、舛添批判をする人のうち、どれだけの人が、会社の経費で飲み食いしているのか、ということは指摘してもいいことだと思う。接待として、豪華な料理を出すことと、美術品を一緒に鑑賞することとは、どのくらい差があるのか、とか。
 まあ、お金の公私混同が激しいので、辞めていただきたいとは思ったけどね。
 でも、舛添バッシングのおかげで、参議院選挙がかすんじゃったのは問題。こっちのほうが、よほど人々への影響は大きい。
 もちろん、一番大きいのは憲法改正。第9条だけじゃない。そもそも、国民主権ということがなくなるようなことまで、自民党の草案にあるのだから。
 でも、短期的にも、するべきことはたくさんある。戦争法の廃止だけじゃない。給付型奨学金は、自民党の政策じゃなくって、より規模を拡大して今の野党で実現して欲しい。保育士の待遇改善も、ちまちまとした金額じゃなくって、どんとやっていただきたい。財源がないとかつっこむマスメディアは気にしないでいい。だって、法人税減税を元に戻せばいい話だ。最低賃金もまずは1000円に。安倍は法人税減税など企業が操業しやすいことは法律で対応するけれど、賃金などは法律ではなく「お願い」ベース。だったら、法律ベースで賃金を上げてもいいはずだ。
 ついでに行っておくけれども、2000年代の賃金の低下は、企業にとって人材の劣化につながっているし、結果として円安になっても競争力のない企業になってしまっている。非正規雇用の拡大は、長期的に企業にはマイナスだった、ということは、まともな経営者なら理解していることなんじゃないか? いや、理解していない経営者ばかりだから、ダメなのかもしれないけれど。シャープとか東芝とか三菱自動車工業とか。

 そうそう、「民進党にはもれなく共産党がついてくる」というのは安倍晋三の発言だけれど、「自民党にもれなくついてくる公明党」が、それほど、言ってることとやってることが違うのかは、批判されるべきだ。そんなんだったら、共産党のほうがよほど信用できる、と思うのが普通じゃないか、と。

 次の都知事は。
 脱原発ではなく、社会福祉の充実を強く主張してほしいと思う。都民にとって、脱原発よりも目の前の暮らしの方がリアリティがあることだから。前の選挙で、細川を支持できなかったのは、脱原発が共感を得にくいと思ったこと、そして小泉が何の反省もなくそこにいたこと。今の格差拡大に貢献してきたのは、小泉―竹中政権なのに、そんなことをなかったようにふるまうのは、信用できるものじゃない。デスラー総統が味方になったからといって、トップになっていいということとは別、みたいなものだ。
 それから、いっそのこと、東京オリンピックの返上も公約にして欲しい、とは思う。まあ、こっちは共感は得られないかもしれないけれど。ぼくとしてはそう思います。だって、東京ヤクルト神宮球場を使えないのだから、これはダメでしょ。

 とまあ、そういうことで。