かつて民主党が政権をとったとき、人々は、「カレー味のうんこではなく、うんこ味のカレーを選択した」のだと思った。政権運営の経験が乏しい民主党は、けれどもマニフェストに書かれた政策はすぐれたものだったと思う。だから、まだうんこ味のカレーだった。自民党は当時、カレー味のうんこだった。口ではおいしいことを言いつつも、やっていることはうんこだった。
それで、人々は、民主党政権について、「でもやっぱりうんこ味だよね」と見放してしまい、カレー味のカレーになることはなかった。
次の選挙で選んだのは、うんこ味のうんこだった。もはや、自民党はカレー味のうんこですらなかった。
でも、本物のうんこである。うんこ味のカレーは、本物のうんこではない。この選挙で選んだのは、うんこかどうかではなく、本物であるということだ。
思い出すとわかる。誰もが「決められない政治」にいらいらし、とにかくリーダーシップさえあれば良かった、と。だから、うんこだろうがカレーだろうが、本物ならいい、そう思ったのだと思う。
そして、最近になってようやく、「うんこ味のうんこって、やっぱりうんこなんだよね」ということに気付きはじめた。週刊新潮や週刊文春ですら、自民党をたたき始めた。
だからといって、「うんこ味のカレーもいやだよね」と、まだ思っているのだろう。でも、ちょっと考え直してほしいと思う。「うんこ味のカレー」なら、いつかは「カレー味のカレー」にしていくことができる。でも「うんこ味のうんこ」をカレーにすることはできない。
民主党政権時代、人々は「うんこ味のカレーはいらない」とは言ったが、「こうすればカレー味になる」とは言わなかった。でも、もし次に選ぶとしたら、「こうすればカレー味になる」というリクエストをしながら、「うんこ味のカレー」を選べばいいのではないだろうか。
今の日本では、カレー味のカレーがつくれる実力を持つ人はどこにもいないし、カレーの作り方そのものがわかっていないのだと思う。
それに、カレーの味の好みはみんな違う。誰もが満足するカレーをつくることはできない。そのとき、一番カレーを必要としている人のために、カレーをつくるべきなのではないだろうか。
人々は「うんこ味のうんこ」は、結局のところ、本物だけれども、うんこでしかないことに気付いた。でも、カレー味のカレーはどうすればつくれるのか。どのお店ならつくってくれるのか、レシピを教えてあげることはできるのか。そんな準備が、この先、必要になってくる。
だまっていても、カレー味のカレーは出てこない。
ということで、写真はマックのガラス窓にはりついていたヤモリ。