こちら葛飾区水元公園前通信825

tenshinokuma2014-12-05

 こんばんは、です。

 というわけで、松尾匡の「ケインズの逆襲、ハイエクの慧眼」(PHP新書)を読みました。
 ぼくとしてはうなずくことが多い経済書でした。
 とりあえず、現在の日本への示唆として。ケインズは実は、不景気のときは政府が財政出動をして一時的にせよ需要をつくるべきだという考えだったこと。なんだかリフレ派みたいな考えだけれども。経済学者としては左派に近いのに、意外でしょ、という。
 日本の場合、2012年の総選挙でねじれていたのは、こうした政策をとるべき民主党が財政規律にしばられ、自民党インフレターゲットを導入しようとしていたこと。
 前回、民主党はうんこ味のカレーだって書いたけど、それは本来とるべき経済政策をとらなかったという点が、すごく大きいと思う。菅直人財務省にだまされて増税路線にはまってしまったのがいけなかったのかも。
 あと、事業体と意思決定のあり方っていうのも。医療法人が株式会社ではないのは、現場の医師が高い専門性を持って意思決定できるようにするためであり、医師以外が経営していては必要以上にコストカットとかしてしまって、医療の質が担保できないのではないかという。医師はリスクを背負うけれども、医師以外が経営したら経営者はリスクを背負えない。農業も同じで、個人事業主がリスクを背負って意思決定し生産していくことのほうが効率がいい。こうした組織のあり方として、福祉事業なども適しているし、ワーカーズコープのような事業もあり、という話もあって、これは何となく納得がいきました。

 エリック・ファーユの「みどりの国 滞在日記」(水声社)は、フランス人作家が2012年8−12月に京都をベースにして日本を滞在したときの記録。原題は「フクシマにもかかわらず」というものだった。福島原発事故があっても、日本はなお日本である、ということなんだけれども、そのわりには福島を訪れていないのは、ちょっとずるいんじゃないかって思わないでもない。
 それでも、日本から遠く離れた国から来た人の目にうつる日本というのは、いろいろな発見がある。京都の景色、神戸、鳥取、沖縄、仙台、北海道、佐渡。背景としては、北朝鮮による拉致事件が語られる。佐渡ジェンキンスにも会う。この年の12月は、総選挙があった。でも日本人の関心は低い。見抜かれている。
 
 はっとりみつるの「さんかれあ」も植芝理一の「謎の彼女X」も完結しちゃいました。
 「さんかれあ」は、後半はちょっとどうかとは思わないでもないけれども、それでも、ゾンビになることでしか自分を取り戻せなかったヒロインには、強い悲しみを感じます。どんなエンディングかは、書かないけど。
 「謎の彼女X」のヒロイン卜部の場合、主人公の姉が選ばなかった選択っていうのが、やっぱり自分でありつづけるという選択なのかなとも思いました。
 そういう文脈の中で、男性作家がヒロインにこうした視点を与える、ということに対して、ろくでなし子のことを考えてしまいます。
 ろくでなし子はまんこの3Dデータを配布したことなどで、再逮捕されてしまったのだけれども、それをわいせつととらえるのはどうなのか。ろくでなし子がやろうとしたことも、自分の身体を影から取り戻すことなのではないか。陰部という言葉で示されるものではなく、あくまでまんこ、と彼女は言います。ろくでなし子のしていることは、ジュディ・シカゴの作品の延長にある、現代的なものなのだろうと思うのだけれども。
 この再逮捕がものすごく不快なのは、警察が「社会の規範から外れたものを排除しよう」としているように見えることです。
 正直、他人事じゃありません。

 その意味では、「異能バトルは日常系のなかで」を見ていると、人は中二病くらいでちょうどいいんじゃないか、とも思います。でも、中二病は排除され、あるいはみんな病気を隠さざるを得ません。でも、そういうのって、つまんないな、とも思います。
 みんな、自分が世界の主人公だって思ったって、いいんじゃないですかね。

 とまあ、そんなわけで、メディアが自民党の圧勝とか伝えるので、ものすごく不愉快な今日この頃です。
 みんな、自民党との相互依存なのでしょうか。つまり、業田良家の「自虐の詩」みたいに、自民党にどんなにしいたげられても、ついていく、そこに愛を見出す、みたいな。残念だけど、ぼくはそんなドMじゃないので、ついていけません。