政府筋とオフレコ

tenshinokuma2009-04-01

 夕べ、綾瀬にあるめぐみ湯に行ったら、先月23日から休業していた。というわけで、昨日は銭湯に行きませんでした。同じ綾瀬の玉の湯を後にまわしておけば良かったのかもしれないけれども、まあ、しょうがないですね。
 休業した銭湯は、たぶん、復活しないと思う。

 政府筋によると、北朝鮮のミサイルが軌道をはずれたら「ファー」って。まあ、気持ちはわかる。まあ、そんな発言が明らかになれば、「緊張感がないよな」と苦言を呈したくなる人はたくさんいる。麻生だってそう言わざるをえない。
 もちろん、オフレコの記者懇談会での発言なので、人物は特定されていないけど。
 前に、漆間のオフレコ発言、西松建設の捜査は自民党に波及しない、というのがあった。そのときは、オフレコというのが話題になった。
 ぼくも数年前までは、記者クラブに所属していたし、オフレコの会見をずいぶん経験している。欧米にはそんな習慣はないと言う人もいれば、背景取材のための必要だという現場記者もいる。個人的には、とても便利なものだったとも思う。そんなの、記者の怠慢だといわれてしまえばそれまでだけれども。
 オフレコの会見が必要だとは言わない。けれども、それはアリだとは思う。馴れ合いと言われる記者クラブ制度だけれど、ある部分は馴れ合いがあってもいいと思っている。そうした信頼関係の上で、オフレコの会見が成り立っているし、背景がわかることで、より正確な取材ができることもある。
 では、オフレコは記事にしてはいけないものなのか? そうではない。オフレコは破られるということが前提だ。ただし、記事にする必要がないことがほとんどだとも思う。地球温暖化の国際交渉について、環境省の高官の個人的考えを聞いたというレベルであっても、実は報道するにあたらない。それはしばしば、政府との見解を異なるものにしているが、それこそが背景であり、では実際にはどうなのか、裏をとっていくことが必要になるからだ。
 ただ、漆間の発言が問題だったのは、彼の発言が重要な意味を持っていたし、オフレコという前提であっても、報道すべき内容だったから、それは表に出ることがある。一方、「ファー」は、まあ、気持ちはわかるよな、というレベルだし、そんなこと報道してどうする、という気がするのだ。まあ、言った方も軽率だけど、だからどうだっていうものだ。
 メディアというのが公正中立であるわけがない。少し前に、朝日新聞星浩が「He said」から「I think」にしていこうということを書いていた。ぼくはその通りだと思う。
 記者の文脈というのは、「誰かがこう言った」という形で書かれている。自分はそこには存在しないかのようにふるまわれている。けれども、その誰かというのは、「政府高官」だったり「企業幹部職員」だったりする。そして、その発言というのは、記者よりも少ない情報の中で発せられているということも少なくない。
 ぼく自身の経験を言えば、地球温暖化などに関する国際交渉については、政府の人間はあきれるほど情報を持っていないということも少なくない。そうした中でも憶測など、あてにならないし、それなら自分の考えのほうがよほどまとを得ている。でも、記者は文脈の中で、「自分はこう考える」と書くことは少ない。星は、それをやめようと言っているのだ。
 ぼく自身については、ぼく自身の思想があるし、社会がどの方向に進むべきかという考えもある。それは、オフレコ懇談会と同じような背景となっている。その上で、例えばCOP15はどうなるか、といったことについて、与えられた情報とともに、こう考えるということは打ち出したいと思う。
 そうした文脈の中で、漆間の発言はやはり、オフレコにはしておけないものだったけれども、「ファー」はどうでもいいだろうと、さらに言えば、そんな発言が表に出ても、誰の利益にもならないものだということだ。
 「I think」であるということは、そういう判断もしなきゃいけないのだ。

 というわけで、写真は昨日の金町駅の喫煙所のかんばん。今日はすでに撤去されているはずだ。
 駅の全面禁煙というのはやはりありがたい。次は東海道・山陽新幹線も全席禁煙にしてほしいと思う。