こちら葛飾区水元公園前通信727

tenshinokuma2007-12-26

 一昨日(24日)は、息子と小岩のあたり、正確には鎌倉にある、みんなの広場という公園で少し遊んだのだけれど、そこにあったのが、遊園地などにかつてあったコーヒーカップのような遊具。乗ってテーブルを回すと、こちらがまわる、というもの。けれども、そこに乗ってせっせと回したら、こちらが気持ち悪くなってしまった。気持ち悪さは、しばらく抜けなかった。ほとんど、バカみたいだ。

 何で息子と遊びに行ったのかっていうと、その日は娘のピアノの発表会。娘はがんばって弾いたので、それはそれでとても良かったのだけれど、その発表会の間、息子は飽きてしまい、娘の演奏が終わったあとは、二人で出てきてしまったというわけだ。娘は母親と残り、最後はクリスマスプレゼントの交換会になるのだけれど、毎年、ぼくと息子は最後までいないよなあって思う。それでも、娘の演奏の順番が年を追うごとに後ろになるので、息子も我慢する時間が長くなっているのだけれども。

 そうそう、23日は子ども会の餅つき大会。ふと、思ったのだけれど、今どき臼と杵で餅をつくのって、子ども会や保育園の父母会のようなイベントだけじゃないだろうか。もう、母親の田舎あたりでも、餅は機械でつくものだっていうことになっている。
 ところで、個人的には、臼と杵でついた餅が好きだ。水をつけながらつくので、水っぽくなるけれど、その分やわらかいって思う。けっこう適当だったりすると、粒が残っていたりするし。
 そんなわけで、つきたてのお餅はおいしかった。あんころ餅もきなこ餅もからみ餅もいいけれども、結局はお雑煮っていうことになる。食べていて飽きない。
 息子も娘もとりあえず、餅つきをさせてもらったし。

 橘川幸夫村松恒平の「微力の力」(メタブレーン)には、いろいろと教えられた。編集者として。
 対談なのだけれども、メタチャットという方式を使っている。つまり、あたかも実際に対談をしているように見えて、実はメールのやりとりみたいになっているという。だから、相手の発言を読んで考えてから返事ができるし、テープ起こしも必要ない。
 こういうやり方は、魅力的だと思う。
 でも、内容がけっこう濃いということを、本当は先に書くべきなんだろうな。そもそも、要約のようなペースで会話しているので、それを要約するのはとても難しいのだけれども、それはつまり、会話の展開の中で、いろいろな発見があったっていうことだろうか。
 ぼくにとって、橘川は師匠みたいな人だっていうことは、昔、書いたと思う。とりわけ、ここ何年かは背中を見させていただいたっていうのがある。オンブックからも本を出させていただいたし。ぼくが持っているメディアに対する考え方っていうのは、そこでつくられたんだと思っている。それは、まあ、何でもアリっていうことなんだけれども。
 今回は、村松がずっと編集者としてやってきたことも、とても参考になった。だから、この本がライターでもあり編集者でもある二人の共著だということに、とても意味があるのだと思う。
 編集者という仕事っていうのは、もっとも定義が間違っている仕事の一つかもしれない。ぼくのように、校正が苦手で、やろうと思えば指定ぐらいできないことはないけれども、あまりやりたくないよな、という人もいる。でも、じゃあ、ダメなのかっていうと、そうは思わない。著者によりそって、その人が書きたいことがもっとも多くの人に伝わるようにしていくっていう仕事もあるし、ぼくはそういう仕事がしたいって思っている。この二つの仕事は、多分、同じではない。
 音楽の仕事、アルバムをつくるときに、いろいろな人がいる。まあ、プレイヤーは著者っていうところで、これはいいかもしれない。でも、プロデューサーもいればミキサーなどのエンジニアもいる。ある意味で、エンジニアとしての編集者とプロデューサー、あるいはプロジェクトリーダーのような編集者もいるということだ。それは、編集という言葉でくくること自体がまちがっているのだと思う。
 それで、仕事をしていく上で、プロダクションにはエンジニアはたくさんいるし、本当にいい仕事をして仕上げてくれる尊敬すべき人たちがいるので、そういう人たちにまかせて、ぼくは著者がいい演奏ができるように支えて上げたいと思っている。
 そういうぼく自身が、ライターである、ということも、意味のないことではないとも思うのだけれども。

 ジェフリー・ギトマーの「営業の赤本 一問一答」(日経BP)というのは、メルマガの書評で気になったので買ってみたっていうもの。実はうちの会社にはまともな営業がいなかったので、人事異動をしてしまったのだけれど、それで一人前の営業ができるというわけではなく、試行錯誤の毎日になっている。けれども、営業を考える上で、基本が知りたいなあっていうことと、迷える新しい営業担当者のためにも、読んでおこう、読んだ本は差し上げてもいい、ということだった。
 まあ、結論から言えば、コミュニケーション能力のことについて、とりわけ問題だと思っていたし、その向上について、いろいろと書いてあったので、それで良かったということになる。顧客に対してメルマガを発行するっていうのもすごいなあって思った。でもまあ、そういうことを課すのは現実的ではないので、今は、スタッフブログを考えている。安くて簡単に使えるビジネスブログを探しているというところだ。
 懇親会の過ごし方っていうのもあって、こういうことも、ほんとうにうちの内気な元営業担当には学んで欲しいというところなのだけれども。

 STOP ROKKASHOプロジェクトによる「ロッカショ」(講談社)については、何を言えばいいのだろうか、ということだ。青森県六ヶ所村の再処理工場については、言いたいことは山ほどある。何より本書において、坂本龍一が再処理工場のHOT試験開始でどれほど落胆したのかって思う。それは、生命が大きく損なわれた、そういうことなんだと思うけれども。
 ぼくにとっては、日本人の無責任さ、言い換えれば、誰も責任を取れないという、そのことだけが、この施設が建設された理由なんだと思っている。その代償は、あまりに大きい。

 最近新しく行った銭湯は二ヶ所。
 一つは柴又にある栄湯。何より、脱衣所を洗い場を仕切るガラスの絵がとてもいい。海の中にいる女性の絵ということになる。湯船につかりながら、ぼーっと見るには、とてもいい雰囲気。お湯はまあまあ。
 もう一つは南千住にある草津湯。こちらはとても古い建物で、ペンキで描かれた富士山も、伊豆方面から見たもので、平成11年5月という日付が書いてある。つまりは、ちょっと絵が痛んできているっていうこと。おすすめはジェットバスで、強力に背中を押してくれる。このところ、背中がとても凝っているので、ありがたい。

 村井吉敬の「エビと日本人?」(岩波新書)を読んでいるので、つい、マクドエビフィレオバーガーを注文してしまった。いや、それって、無神経のように見えるかもしれない。それは正しいかもしれないな。というか、食糧とグローバリズムの本を読んでいるときに、マクドはないだろうって思われるんだろうな。けれども、金町のマクドは夜のオフィスなんだ。昨夜だって、ここで原稿を書いたりしているわけなのだから