こちら葛飾区水元公園前通信889

 こんにちは。

 今日(もう昨日だけど)は静岡に来ています。

 

 ということで、告知から。

 すでに店頭に並んでいますが、「トーキングヘッズ叢書 No.77 夢魔」が発売されました。今回は、ぼくは夢日記なぞを書いています。が、それ以外にも読みどころは盛り沢山なので、今回もぜひお買い求めいただけますよう、よろしくお願いいたします。

 

 で、先日、今年最初のトレッキングに行ってきました。本当は、9日土曜日を予定していたのですが、9日に仕事が入ったので、平日に代休。って、自営業に代休あるのかよ、と突っ込まれそうですね。

 場所は南高尾山稜。高尾山の南側の尾根筋です。高尾山はさんざん登っているのですが、意外に周辺には行っていない。

 ルートですが、大垂水峠から大洞山、三沢峠、草戸山、四辻を通って高尾山口を目指すというコースです。ここは、冬がいいということです。というのも、落葉樹の葉っぱがなくなって、見晴らしが良くなるから。

 高尾山口から、まずはタクシー。あまり使いたくなかったのですが、この方面のバスは1日に3本しかなく、それを待っていては、下山が遅くなるので。

 タクシーで約15分。大垂水峠から、まずは歩道橋。ここで、高尾方面、城山方面とわかれるのですが、南高尾山稜は橋を渡ることになります。梅の木平方面ですね。

 そこからおだやかな坂をのぼり、この日のピークとなる大洞山。ここが570mくらいなので、高尾山よりちょっと低いですね。

 ここから、それなりのアップダウンがあって、トレッキングしているっていう感じになります。

 冬なので、本当に葉っぱはなく、中間地点の草戸山あたりまでは針葉樹もないので、見晴らしはほんとうにいいですね。くもりなので、あまり遠くは見えないのですが、それでも高尾山とか津久井湖がよく見えました。湖の水面はなかなか美しいです。ダム湖なんですけど。それに、水はちょっと少なかったけど。

 途中、中沢山の観音様にもおまいりしたし、草戸山には社もあります。

 生き物はというと、鳥の声はいろいろ聞こえるのですが、植物としては、アオキのつややかな葉っぱにときどき赤い実がついているとか、そんな感じ。それと、倒木が多かったですね。これ、去年の台風のせいでしょうか。ずいぶん、切り倒して処置していましたが、それでも、途中から折れた木もあって、なかなか見ものではあります。

 このルートの最大の欠点は、途中にトイレがないこと。そこで、草戸山から青少年センターに一度折りました。でも、ここで、ルートを間違えることになります。

 本当は、その先の草戸峠から降りるように地図に示してあったのですが、道しるべにしたがって、草戸山から直接向かいました。その先、大戸バス停に向かう道です。火曜日で青少年センターは休刊日でしたが、キャンプ場のトイレがあり、ほっとしました。しかし、ここから元のルートに戻るのに、迷うことになるのです。というのも、草戸峠から10分というはずだと思い込んでいたので、なかなかその分岐点にたどりつきません。そのはずです。結局、草戸山まで戻ることになります。

 直接、草戸峠に出る道も、キャンプ場の先にあったんですけどね。まあここで、往復1時間弱。

 ここから先は、針葉樹が多く、適度なアップダウン。いくつもピークを越えて、高尾山口に分岐する四辻を目指すことになります。景観を楽しむことなく、ひたすら歩きました。

 右側には城山湖が見え、城山ダム・発電所を紹介する放送が流れています。いやでも、25万kWの水力発電所の話を聞くことになります。まあ、ダム湖の周回コースもあるようです。

 ということで、青少年センターの往復を含め、およそ5時間のトレッキングでした。

 ルートとしては、大垂水峠から草戸山までは、景色がいいので、おすすめ。体力のある人は、高尾山経由で大垂水峠まで来てから、その先を歩いてもいいと思います。途中、三沢峠から梅の木平に抜ける道が、関東ふれあいの道なので、そっちに下りていくっていうのもありでしょう。

 

 次回のトレッキングは、3月。久々に大山に登ろうかなって考えています。そこから、西に降りるか東に降りるか、考えておきます。

 写真は、近く、フェイスブックにアップしますので、そちらをご覧ください。

 

 齋藤美奈子の「日本の同時代小説」(岩波書店)を読みました。齋藤は、圧倒的な読書量で、それぞれの時代にどんな小説があったのかを、教えてくれるのですが。

 その一方で、考えてしまうのは、どんな小説が書かれたかだけじゃなくて、どんな小説が読まれたのか、この本の主題は小説ではなく、その時代がどういうものであったのか、ということです。たぶん、「日本の同時代マンガ」でも「日本の同時代映画」でも同じ本ができるのではないかって思いました。小説だけが文化を代表する時代ではないからです。だからこそ、誰もこの手の本を書かなかったのではないか。その意味で、齋藤の本は、貴重でアクセスしやすいとりまとめということになります。

 同時に、こういう作業をすればするほど、時代の表層的なことしかわからなくなってしまうということも思いました。

 

 どうしてこんなふうに思うのか。

 最近、気持ち悪くてしかたないのは、今年の4月末で「平成」が終わる、ということがとても重大なことのように、あちこちで言われていることです。何かというと、平成最後、とか。それは、昭和という元号が終わる時期の気持ち悪さとはまたちがったものがあります。

 平成が終わる、と言ってしまうことで、むしろ見えなくなるものがあります。そもそも、平成が終わったところで、天皇が交代する以外に、大きな変化はありません。

 むしろ、もっと別の、大きな時代の変化が近づいているかもしれないのに、そのことが覆い隠されている、そんな気がするのです。

 

 ぼくたちは歴史の教科書で、歴史区分を学んでいます。平安時代鎌倉時代安土桃山時代、江戸時代。そしてその先に明治時代や大正時代、昭和時代をつなげることに、違和感はないでしょうか?

 江戸時代までの時代区分は、あきらかに、統治の構造によるものです。鎌倉幕府江戸幕府など。けれども、明治から先はそうではありません。時代区分をするのであれば、1945年までが帝国憲法時代(仮称)であり、そこから先が平和憲法時代(仮称)になると思います。その間で、この国の主権を誰が持っているのかが、大きく変化しているからです。

 そう考えると、平成が終わるということよりも、平和憲法時代(仮称)が終わりかけているということの方が、よほど重要なことです。

 そして、齋藤の本を、「平和憲法時代の小説」という形で読みかえると、もっと違ったものが見えてくるような気がします。

 

 まあそれはともかく、齋藤の本から、「こんな小説があったなあ」とか教えてもらえるというのはいいですね。取り上げられない小説もたくさんあるんですけど。

 

 あとはどんな本を読んだか。

 木間のどかの「AGRI」(文響社)は、いただきものです。心霊ミステリーとでもいうのでしょうか。高校時代の同級生がたまたま心霊問題を解決する仕事をするという設定。キャラクター設定と、最後まで引っ張る二人の記憶に関する謎あたりは、うまく伏線をはっているなあとは思いました。でもまあ、ふつうにラノベです。

 

 木村泰司の「人騒がせな名画たち」(マガジンハウス)もいただきもの。ボッティチェリからフリーダ・カーロまで。絵画に隠された意味、時代背景などが語られる。描かれたアイテムにはどんな意味があるのか、画家のヒエラルキーなんかが、美術史家によって語られる。なかなかうんちく的本です。知っているとちょっと徳する、楽しい本でした。でもまあ、絵画は正直に現代の視点から楽しんでもいいと思うんですけどね。

 

 あとは図書館で寄生虫の本を借りて読んだし。同じく、ヒラムシのガイドブックも。

 ヒラムシって、海に住んでいる、ちょっとウミウシに似た生き物です。ただし、分類学的には大きく離れています。あんまり進化していない、扁形動物門渦虫綱多岐腸目になるのかな。同じ渦虫綱は、三岐腸目のプラナリアが有名ですね。あと、コウガイビルは、うちの近くにも住んでいて、カタツムリを食べています。身体の構造としては、身体の真ん中に口があって、そこから腸に取り入れ、同じ口から排出する。

 ウミウシはもっとずっと進化した、軟体動物門(貝とかイカ・タコなど)で、口と肛門はわかれているし、頭もあります(二枚貝は頭が退化してなくなっていますが)。

 とまあ、そういうヒラムシで、大きさはだいたい2センチくらい。でも、海のヒラムシは色鮮やかな種類が多く、ビジュアル的に楽しめました。ただし、ウミウシほどたくさんいるわけじゃないので、ヒラムシウォッチングというのは無理、というくらいです。

 ぼく自身は、黒くてうすっぺらい地味なヒラムシしか見たことなかったので、ちょっと面白かったし、多岐腸目にこんなにたくさんの種類がいるのか、というだけでも驚きなのですが。

 それと、ガイドブックには、種名まで同定されていない写真がたくさんあります。○○属spとか、〇〇科spもあるし。どっちの科かわからないものまで。ということは、ヒラムシはまだまだ研究されていないということ。ヒラムシの研究者になって、分類し、論文を書けば、いくらでも命名できるような気がします。

そうそう、それと、渦虫綱には無腸目というのがあるのですが、これがガイドブックでは扁形動物門から切り離されて、珍無腸門とされているのはちょっとびっくり。というか、この口がなく、体表から養分を取り入れて生きている生物がいる、というのは、系統動物学の教科書に、こんなのもいる、というイラストが出てきただけだったのですが、それが写真付で紹介されているというのが、ちょっとうれしかったです。これもけっこう、鮮やかな色で。でも体長は数ミリ。謎の生き物ですね。

 

 そうそう、アリ・スミスの「両方になる」は、邦訳でも両方のバージョンがあることを確認しました。

 

 とまあ、今日はこんなところで。