こちら葛飾区水元公園前通信865

tenshinokuma2017-11-01

 こんばんは。

 このところ、土日はいつも雨。
 なんか、休んだ気がしないですね。

 まずは宣伝から。トーキングヘッズ叢書No.72が出ました。
 今回の特集は「グロテスク 奇怪なる、愛しきもの」です。
 ぜひ、ご購読のほど、よろしくお願いいたします。ぼく自身は、少ししか書いていませんが、たくさんの執筆者がいろいろな角度からグロテスクしています。

 さすがに、日本の政治のグロテスクさは、書きたい気持ちはありましたが、やめました。あまりにも直球なので。
 そういうのを、作品にしてしまうのも、力がいるなあ、と。
 ということで、笙野頼子の「さあ、文学で戦争を止めよう 猫キッチン荒神」(講談社)です。
 前作「ひょうすべの国」では、TPPがテーマでした。TPPが人食いだと。農産物だけではなく、例えば医療。薬の価格が3倍にもなったらどうする? 保険制度は? といったところも。
 TPPこそ、トランプ大統領のおかげで、発効していないのですが、それはそれとして、戦争への危機というのを、笙野は肌で感じるままに、作品にしている、というところでしょうか。
 そこに描かれるのは、笙野と猫のささやかな暮らし。それが壊されるということが、戦争への危機感として感じること。両親から疎外され、難病を患い、人と接するのも動くのもしんどい中で、猫と暮らす。そういうところで、人食い社会がそこにも及ぶ。
 肌で感じれば、それがいかなるものは、わかりやすい、と思うんだけど。
 戦争を止めるために、笙野ができるのは、こうしたこと、という回答がある。
 そういうこととは別に、猫小説として、胸が詰まります。保坂和志の小説とちがい、猫は弱い主人公を守ってくれる。保坂が猫をモデルに子供を「季節の中で」で書いたのとはちがって、笙野が描く猫は女王。喪失も同じではない。

 トランプ大統領はTPP離脱以外はろくなものではないな、というところだけれど、Shiela E,の「Iconic Message 4 America」というアルバムは、その大統領を受けてのものだと思っていい。正義、自由、公平性と叫ぶ背後に、いつものシーラのパーカッション。頭がなぐられるような熱いアルバムです。
 Princeのカバー「America」とか、Baetlesの「Come Together」なども演奏されていて、それらもまたメッセージがあってのこと。
 これを聴いていて思ったのは、アメリカ人にとっての「アメリカ」というのは、自由の国というようなものを含む言葉なんだろうな、ということ。民主主義の国である、ということもあるかな。だから「アメリカってこうなんじゃないか」って言える。それがどうであれ。かつて、アメリカにおいてアメリカ国旗が焼かれるという事件があったとき、でもそういった表現が自由であるのがアメリカなんだ、というふうに多くの人が考えたといいます。
 じゃあ、日本はどうかっていうと、「日本」という言葉には、そういうニュアンスはない。でも、幸い、それにとってかわるものがあります。それが「日本国憲法」。だから、「憲法で決められているのは、こうなんじゃないか」って言うことができます。逆に「日本」という言葉は、「大日本帝国」の持つ意味まで背負わされてしまっていて。それで、「日本を取り戻す」なんていう人が出てきてしまう。そう、「日本」はすごい国でありつづけてほしい人たちがいる。それがアイデンティティ。だから始末が悪い。
 アメリカ人が「アメリカってこうなんじゃないか」と言うのと同じくらい、日本人は「日本国憲法ってこうなんじゃないか」と言わなきゃいけないんじゃないか、そんな気がしました。そのぐらい、アイデンティティの問題なんだなあ、と。

 先週は、日本吟醸酒会の試飲会に行き、ワインの記者発表にも行きました。たまーに、試飲するのですが、ぼくの中では、美術館に行くことと似ています。何か、作品を鑑賞するという。同時に、鑑賞できる自分を確認するというのかな。
 日本吟醸酒会では、尊敬する二人の蔵元のお酒を利き酒することができました。ひとつは栃木県の天鷹、もう一つは静岡県の開運です。
 天鷹有機米で大吟醸を造っています。有機米だからおいしい、ということではなく、そこには安全を優先するという思想があります。高い有機米でも妥協せずに精米しています。出品主は、味わいが長く余韻となって舌の上に残るすごいお酒でした。でも、個人的には酵母のつくりだす、酒種を思い出すようなほんわかした香りが素敵な、純米ひやおろしが好きですけど。
 開運は、亡くなった波瀬正吉杜氏を継ぐ純米大吟醸のやさしい味わいは捨てがたいのですが、今年の出品酒の、霧の中の未来都市というイメージのお酒が、すごかった。端正な感じとやわらかさが同居というか、きれいだけどクリアなわけじゃないというか。
 このふたつの蔵のお酒を飲んだだけで、満足してしまったのですが、当然他のお酒も試飲するわけで、飲みすぎました。

 ワインは、オーガニック専門のマヴィが、4つのワイナリーから新たにイタリアワインを入れるということだったのですが。ここでもすごいワインを飲みました。
 ボデーレ・カサッシアというワイナリーのワインがそれです。小さな畑で何種類ものぶどうをつくり、少量ずつ多様なワインを造っているのですが、哲学するワインというイメージで、飲むと何か考えずにいられないというものです。それぞれのワインが与えるイメージが鮮烈。好きなのは辛口の白シーネフェッレ・ビアンコで、草原の中に一人で放りだされたような香りと味わいというインパクトでした。プリスクスという赤は、やさしくきらびやかな夜というイメージで引きこまれるし、アリテルという赤は太古の海がそこにあったかのような、時間をかんじさせる。他のワインもいろいろ複雑でかんがえさせられたな。
 よく、どんなワインがおいしいかってきかれるけど、おいしいワインには興味がない。語ることのできるワインがいい。日本酒も同じ。
 このワイナリーの生産者は、週三日は外科医で、四日は農業。理系の理論武装でワインをつくっている。
 この他にも、ファットリア・マニョーニ・グイチャルディーニというシャトーのフレッシュさを残したキャンティ、マセリア・デル・フェウドというシチリアのシャトーの豊穣な草原の土地の香りを残す端麗な赤、ボデーリ・サン・ラッツァロというシャトーのほっこりとした森のどんぐりをおもわせるような白。ほとんどがリーズナブルな価格のすごいワインでした。
 11月中旬発売とのことなので、ぜひ、機会があれば。おすすめです。

 先月末、折口信夫原作の「死者の書」の朗読劇を見たので、そういえば近藤ようこも漫画化しているのを思い出し、読みました。近藤は読書の手引きみたいなものと書いている通り、ストーリーを追うというよりも、世界を感じさせてくれるというもの。じわじわと読み、解放される、そんなマンガ。なかなか不思議な体験でした。
 できれば、原作を読んでほしいけれど、読むのもしんどいので、というようなことですが。ぼくも原作読んでいないし。
 近藤は、「死者の書」のマンガを30年以上前から考えていたとか。ほぼデビューの時期からということかな。というか、中世物を描くようになったかならないかくらい。そのことに驚きます。まあ、確かに、「身毒丸」とか描いてたからなあ。
 近藤の坂口安吾原作のマンガは岩波現代文庫になりました。こちらはおすすめです。字が細かいけど。

 あとは、知らない間に諸星大二郎の新作も出ていて。それも3冊も。「BOX」全三巻(講談社)がそれ。しかけはいつもと違うテイスト。パズルホラーとでもいうのかなあ。箱に入って出るという話だけれど。人には捨てたいものもあるというあたり。それはさまざまで、それによってドラマができている。傑作とは思わないけれども、楽しみました。

 年明け、全国トークライブツアーの話はなくなりました。ちょっと残念かな。でもまあ、あまり期待していなかったので、まあいいか、と。


日立市の松の湯。
仕事で水戸まで行ったので、帰りに日立まで足をのばしてみました。
日立にはもう一軒、福乃湯が駅前にあるのですが、そちらは「本日休業」なので、およそ1キロ先のこちらへ。
日立駅、思ったより海に近い。で、わりとにぎやかな駅前を想像していたけれど、あんまりそんな感じはなかったなあ。
銭湯までの道も、ちょっとさびしかったし。
松の湯、番台でおかみさんが切り盛りしている、そんな小さな銭湯。道路側の窓はあけっぱなしで、丸見えじゃん。でも、人も少ないし、男湯だし。
浴室の中央部にあるお湯、じっこうを使った漢方のお湯。仕事の疲れがとれます。
背景は富士山のタイル画。決して大きくはないですが、浴槽から見る風景としては、やっぱりいいですね。
帰り道は暗くなっていて、もっとさびしかったです。
そうそう、帰りは日立から、まず土浦行きの電車に乗ったのですが、車両の都合で、グリーン車が連結されていました。もともと、グリーン車のない車両だったので、グリーン券なしでグリーン車に乗れました。まあ、ラッキーといえばラッキーですね。夜なので外の景色は見られなかったけど。