らかん湯(ふたたび)

tenshinokuma2015-09-19

 昨日の銭湯は、江東区大島にあるらかん湯。前回行ったのは、2010年7月なので、5年ぶりか。
 当時は、辻元清美社民党に離党届を出していた。
 らかん通りにあるかららかん湯。
 クラシカルな名前のわりには、モダンなビル型銭湯で、こじんまりもしているけれども。でも、バブルバスが快適。
 それに、薬湯は宝寿湯。これ、好きなんです。たっぷりつかってきました。
 さて、夕べというか今日の未明まで、国会中継を見ていました。
 これを、野球でいえば、10対0で負けているゲームの9回裏みたいなものに見える状況。あるいは消化試合か。
 でも、それはゲームが始まる前からわかっていたこと。こういったゲームでは、次につなげる、いかに戦ったかという経験が必要なんだと思う。
 だから、見た。
 国会だけではなく、その周辺に何万人もの人が集まった。こんなことは、70年安保闘争以降、なかったと思う。でも、人が集まるほど、戦争法案反対への共感が高まったとも思う。この共感が、すごく大切だ。国会前で、声をあげていいんだっていう、そういう経験ができたことも。
 人々は、互いに問題を抱えながらも、共感を広げることができず、分断され、敗北してきたと思う。だから、これだけの共感が、すごく大切なんだって。
 これからやることはいくつもある。
 第一に、この共感を忘れないこと。そのことが、民主主義を取り戻すことになる。
 第二に、民主主義を取り戻すための政治勢力を育てなければいけないということ。でも、それはすぐにできることではないと思うし、簡単にあきらめてもいけないことだとも思う。何度も行ってきたけれども、民主党にどれほど問題があったとしても、あのときは、それを育てるという意識を多くの人が持つべきだったと思う。民主党を含めた野党が、自分たちの代表となれるように、リクエストし続けることだ。
 第三に、戦争法案は貧困と表裏一体になっているということ。戦地に行くのは、経済的徴兵制で集められた人々だ。武器を販売して儲けるのは、戦地には行かない人々だ。でも、その武器を製造するのは、安価な労働力だ。貧困の中にいる人には、希望は戦争しか残らない、そんなことになるかもしれない。そんな時代にはしないことだ。
 メディアに関わる人間は、こうしたことを忘れないことだ。もちろん、自分に対しても、そう思う。戦争法案反対では、国会前に行かなかった。それはいろいろ事情はあるのだけれども。同時に、ぼく自身、それは持続的にやっていかなきゃいけないことでもある。紙にインクをのせて配布できる、そんな立場にいる人間の責任だと思う。
 ということはさておき、昨日はヤクルトは負けてしまったけれども、バレンティンが帰ってきた。