焼身

tenshinokuma2009-10-02

 宮内勝典の小説。友人の告別式に向かう新幹線の中で読んだ。
 9.11を契機に、作家である主人公が、ベトナム焼身供養を行なった僧について興味を持ち、その実像を求めてベトナムに行く、というストーリー(大枠)。
 でも、これだけじゃ、何のことか、わかんないよね。
 ぼくはやはり、そういう状況であっても、人は死ぬべきではない、とは思う。同時に、自爆テロが、もはやそうするしかないところに追い込まれている、ということも、頭ではわかっているつもりだ。
 今は、うまく言えない。

 その友人の死については、すごく思うことがある。まがりなりにも、ジャーナリストとしての看板を出して仕事をしている身としては、先輩ジャーナリストとして、その背中をずっと見てきた。だから、目標がなくなってしまった、という落胆がとても大きい。
 告別式では、友人の書いたイラストが展示されていた。鳩山内閣の閣僚の似顔絵が最後の仕事になってしまったという。新聞社の人の弔辞ではコーヒーの話題から、人柄の良さが語られていた。
 でも、それでいいのか? と思った。イラストやコーヒーのために新聞社に入社したわけじゃないだろ、と思う。本人が、もっと気に入っていた記事は、別にあると思った。
 奥様の挨拶では、よき家庭人であったことが紹介された。そういえば、組合活動もせっせとやっていたし、週刊金曜日の福島読者会も引っ張っていった。
 たぶん、夫婦共働きで、家事もあたりまえのようにやる夫、というモデルを構築する、というのは、ジャーナリストの仕事としても位置付けていいのだと思う。会社にうとまれながらも、組合活動に積極的に参加し、あるいは会社の外でも活動すること。ジャーナリストであることと、会社員であることは一致しない。
 ということは、あったのだとは、思う。だからこそ、告別式で語られたような文脈だけで語られていいのか、と思ってしまう。
 でももう、本人とそういう話をすることはできない。

 今日も、息子のクラスが学級閉鎖なので、自宅で仕事をしている。