今週はイゴール・コロシェフ

tenshinokuma2008-05-31

とうとう、イエスのメンバーを全員紹介できました。
http://otokonokakurega.net/blog/entertainment/117/entry1632.html
まあ、エディ・ジョブソンとかオリバー・ウエイクマンについて書けということもあるかとは思いますが、それはそれとして。

ここで行ったことのない銭湯として最近紹介した北野浴場ですが、調べたら娘が生まれたときに、足を運んでいました。森林浴にゆったりとつかっていたというわけです。
それも97年のこと、10年以上前ですね。
なんで娘が生まれて銭湯なのかというと、かみさんと娘が病院にいるので、風呂をわかすまでもない、ということです。

アフリカ会議である。
今、アフリカへの援助を拡大しているのは、中国だったりする。そしてそれは資源獲得というコンテクストで語られる。
さらに、日本も資源獲得のために、中国に負けてはいけないんじゃないか、という主張がなされる。
さらに、アフリカを支援し、日本の常任理事国入りを支援してもらおうという話まで出てくる。
何かゆがんでいないか? と思う。

これはぼくの理解だけれど、アフリカの貧困は、ヨーロッパの支配に遠因があるのではないか。そして、自国をまもるために、何もせず引き上げた結果の混乱が、民主主義が根付かないままの土地を残してしまったのではないか。
そうしたとき、ヨーロッパがまずアフリカへの責任を果たすべきではないのか? と思う。
そして日本は、アフリカを支援するというよりも、アフリカを支援する中国を支援したらどうか、と思う。
中国自身はアフリカとは違うレベルで助けを求めているし、悩んでいるし、同時にチベットをはじめとする少数民族問題を抱えている。
アフリカで競争することがいいことなのかどうか? 日本は中国にはできないことをアフリカで行うべきだし、そのある部分では中国でも行うべきことなのではないか。
人権問題も貧困問題も、中国とアフリカというだけではなく、中国沿岸部と内陸部、漢民族少数民族、そういうものもあるはずなのだ。

何か、大局的な視野が伝わらないままというものを感じている。

ぼくが知っているアフリカというのは、環境・エネルギーをめぐる数字としてのアフリカと、ウォレ・ショインカ、ケン・サロウィワ、サンベーヌ・ウスマン、ソニー・ラブ=タンシ、チェンジェライ・ホーヴェ、ベツィ・ヘッド、マヨンペ、エイモス・チュツオーラといった作家たちのアフリカでしかない。

写真は、うちのポストの上にいたトカゲ。