こちら葛飾区水元公園前通信724

 このところ、いつも以上に1週間が早い、と感じています。なのに、仕事は増える一方。などと言いつつ、先日もイタリアワインの試飲会に足を運んだりもしていますが。1時間くらいしか会場にいられなかったのが残念なのですが。
 もちろん、試飲のあともお仕事、でした。まあ、仕事そのものは、のっているというところです。でも、お金はないです。「まいったぜ」と言いたくなるような状況ですが、めげずにやっていこうと思っているところです。
 昨日なんかも、新刊が出るので、書店営業までしちゃいました。こういうの、苦手なんですけれど、やらなきゃいかん、という。

 そんなわけで、12月3日からは、インドネシアのバリで気候変動枠組み条約第13回締約国会議/京都議定書第3回締約国会議が開催されるのですが、そこに出席する途中でに日本に立ち寄った、環境NGOのリーダーとしてヨーロッパで活躍している、ジェニファー・モーガンさんの報告会を聞いてきました。世界の情勢や日本への期待、ということなんですが、その通りだよな、ということが多かったと思います。どういうことかというと、2050年までにCO2半減というのであれば、まずは中間目標も。世界が、ではなく、日本がどのくらい削減するのか示すべきだ、ということ。それから、日本もせっせとキャップ&トレードの排出権取引制度を導入すべきだ、とも。
 キャップ&トレードについては、事業者にCO2排出量の枠を与えて、足りなければ買うし余れば売っていい、というしくみ。けれども経団連など産業界の反対が強いので、日本では導入できていないというものです。もっとも、経済同友会代表幹事のリーコーの桜井社長は導入すべきだ、という意見だそうですが。
 で、おやっ、と思ったのは、ひさしぶりにこの話でWTOの話題が出たこと。アメリカやフランスで、キャップ&トレードの制度を持たない国からの産品の輸入に関税をかける、という話しが出ているらしいのです。こうなると、「制度を入れたら日本の国際競争力が失われる」という経団連の主張とはまったく逆の結果になってしまうわけです。
 実は、WTOルールでは、同じ産品であれば、CO2をたくさん出そうが何だろうが、差別してはいけない、ということになっています。ところが、2002年の環境と開発がテーマだったヨハネスブルグサミットでは、WTOは環境国際条約に優越しないということが確認されています。5年前の合意が、これから生きてくるということになります。実は、当時、このWTOルールと環境問題について、けっこう記事を書いていたので、それで、ほんとうにひさしぶりにこの話を聞いたし、ようやくそうなってきたな、という思いがあるのでした。

 実は、ここではあまり書かなかったけれど、書評用の本をけっこう読んでいて、たとえば大木浩の「きれいな地球は日本から」(原書房)とか、岩間剛一の「「ガソリン」の本当の値段」(アスキー)、「地球発!ストップ温暖化ハンドブック」(昭和堂)、江口まゆみ「うま酒温泉へようこそ」(平凡社)、蜂須賀裕子の「脳を元気に保つ暮らし方」(大月書店)といったところです。どれもけっこう面白かったです。

 ということとは別に、井田徹治の「ウナギ」(岩波新書)なんていうのも読みました。ウナギがどこで卵を産むのかというのもよくわかっていないのに、資源として減少しているので、なかなか大変だ、ということなんですけれど、乱獲に問題があるだろうけれども、広い海の環境が重要なので、環境汚染の影響も大きいのではないかという。さらに地球温暖化の影響もこれから出てくるだろう。けれども、ウナギの7割を食べている日本人はあまりにそのことを知らなさ過ぎる、ということです。「ウナギと日本人」ということですね。
 こうなると、村井吉敬の「エビと日本人」(岩波新書)を思い出してしまうでしょうが、12月にはその2が出るとのこと。
 それはともかく、「ウナギ」はなかなか面白かったです。あまり安易に安いウナギを食べるという気がしなくなってきます。

 北村雄一の「深海生物の謎」(ソフトバンククリエイティブ新書)は、社会派ではなく科学派、深海の生物が生きる様子を解説したもの。深海の生き物というと、実はウナギ目がけっこういる。やたらと口がでかいマクロファリンクスや胃袋がでかいサッコファリンクス、シギウナギなんていうのもいたな、などと、深海のウナギ目を思い浮かべるのですが、ひょっとしたらウナギって元々深海魚だったものが、河川にまで進出するようになった魚なのかもしれない、とも思ってしまいました。
 それにしても、深海の生き物というと、とにかく変なナマコがたくさんいて、それはそれで不思議な光景、というものです。

 サイエンス系としては、野口廣の「トポロジー」(ちくま学芸文庫)なども読んだりしていました。トポロジーというと、ドーナツとコーヒーカップが同じ形、というくらいしか知識がなかったのだけれど、まあ、そういうことです。いや、どうして同じなのかというと、ドーナツ型を構成する「集合」がコーヒー型の「集合」に写像としてきちんと対応するからであり、穴がない球ではそうはいかない、ということだそうです。というのも、この本は「写像」だの「位相」だのという難しい話がはじまって、ぼくにはさっぱりわからないのだけれども、感覚として、そうなのか、と思ったわけです。
 いや、ほんとうは、ポアンカレの予想に興味があったんですけれどもね。

 という間に12月です。