こちら葛飾区水元公園前通信802

tenshinokuma2013-05-22

 こんばんは。
 おひさしぶりです。

 毎回のことですみませんが、今回も宣伝から。
 週刊エコノミストの先週号と今週号、2週続けて記事を書かせていただきました。
 先週は東電の決算について、今週は敦賀原発2号機の活断層についてです。
 もし、お時間があれば、書店で立ち読みでもしてやってください。

 ゴールデンウィークはいかがでしたでしょうか。こちらは、だらだらと過ごしていました。それでも、沼津にある深海魚水族館に行き、深海魚のお寿司を食べたりしてきましたけど。
 水族館は面白かったです。駿河湾の深海生物がいろいろいて、小さいけど個性豊かな水族館でした。不気味なヒトデのテズルモズルとか、ゼラチン状の深海性のナマコとか、食事をしているのかどうか気になるダイオウグソクムシとか。
 シーラカンスのはく製や冷凍標本も展示されています。シーラカンスの名前の由来は、二度と食べたくないまずい魚という意味だそうで。標本を見ると脂ぎった感じがするのですが、実際に脂が多くて食用に適さないみたいです。まあ、これも深海魚で、うきぶくろの代わりに脂肪で浮いているといったところなのでしょうか。
 深海魚のお寿司もおいしかったです。ニギスとか。
 でもかみさんと息子と三人で食べたら、1万円近くなったな。回転寿司なのにな。

 R.A.ラファティの「蛇の卵」(青心社)と「第四の館」(国書刊行会)を読みました。正直に言います。よくわかりませんでした。たぶん、頭のはたらきが冴えているときなら、もっと楽しめたんだろうけど。いかんですね。

 アントニオ・ネグリマイケル・ハートの「コモンウェルス」(NHK出版)を読んだのですが、ちょうど第6部で「アイデンティティ政治」について書いてあるところを読んでいるところで、橋下大阪市長従軍慰安婦発言があって、いろいろ考えてしまいました。
 橋下発言の顛末は、本人も含めて維新の方々が火に油を注ぐような発言を繰り返していて、とても面白かったのですが(っていうか、怒る気にさえなれないのは、そもそもそういう人だって思っていたからなのですが)。でも、どうしてこうした発言になるのか。自民党憲法改正や、女性手帳なども含めて、共通するのは、アイデンティティの問題なんだな、ということです。
 ネグリとハートが言うところの「マルチチュード」というのは、民衆というのとは少し違うのですが、それはなにかというと、民衆という言葉にくくれない多様性がそこにあるからです。でも、そもそも、リベラルな思想は、個人の多様性を重視してきたから、1つのアイデンティティでつながっていくことは難しいということがあったと思います。
 人はそんな簡単にマルチチュードになれるほど強くないのかもしれません。
 それでも、現実には、誰もが多様性の中にいるのですが。同時に、何かの規範の中に回収され、居心地良くしたいのかもしれません。
 例えば、憲法改正について考えてみます。ここで改正したい人たちは、なによりもまず「自主憲法制定」と言います。それが、結果として大日本帝国憲法みたいなものであっても、です。日本国憲法に対して、人々がアイデンティティを感じる機会はうばわれてきたのかもしれません。というのも、それは敗戦というネガティブな感情とセットになっていたからだと思います。
 女性手帳という発想にも、家父長制という規範に改修されていという気持ちが見えます。選択制の夫婦別姓にすら反対する人は、家族の絆を言いますが、何よりも家族というアイデンティティが形の上で失われることがこわいのかもしれません。
 自民党が保守ではなくヤンキーだと言ったのは、内田樹だったでしょうか。ヤンキー先生自民党だし、EXILEのコンサートにも安倍首相は登場しちゃうし、嶋大輔は参院選自民党から立候補するのでしょうか。
 でも、アナーキーであるはずのヤンキーが、気付くと「尊王愛国」みたいな旗をふりまわしていたりするので、ヤンキーも心が弱いから、そうした国の形というアイデンティティを求めるのかな、とも思ったりもします。
 ヤンキーはたとえ嘘でも「昔から日本は神の国」だと言われると、信じてしまうのです。
 ついでに言うと、その点、民主党中二病の集まりで、みんな自分探しをしていたのではないかとも思うのですが。ただし、人として中二病の方がよほどまともだとも思います。
 えーと、話がずれましたが。橋下の従軍慰安婦発言も、本人の釈明や前後の文脈を含めると、
1. 従軍慰安婦問題は日本に責任があるし、そうした不幸なことは現在では許されるものではない。
2. 兵士は過酷な戦場にいるため、安らかになれる性のはけぐちが必要ということも事実。
3. 何等かの性のはけ口として、日本軍が従軍慰安婦を利用したことは、許されない間違った行為ではあったが、合理性もあった。
4. 同様のことを、米国も韓国もその他の国もしているので、日本だけが罪を問われる話ではない。
5. したがって、性犯罪を犯す沖縄の米軍も、日本の風俗業を利用して犯罪を抑制してほしい。
 といったところでしょうか。
 橋下の意見に対する批判を言うこともできますが、ここでは、別のことを問題にしています。結局、こうした橋下の発言の背後には、暴力的で支配的な性衝動を抱えざるを得ない男性ということへのアイデンティティと、そのことを正当化することで、日本だけが負い目を負いたくないという気持ちがあるのではないかということです。
 橋下の発言の背景は、彼なりに、「いわゆる自虐史観に対する批判と、暴走する安倍政権のナショナリズムに対するスタンス」を考えたということがあったのではないでしょうか。
 憲法を改正して、自主憲法というアイデンティティを取り戻したいとしても、従軍慰安婦はなかったというのは無理があると思っていたのでしょう。そこで、従軍慰安婦を一般化したという。
 橋下の発言に対する批判はともかくとして、元々彼はこうした発言を繰り返してきましたし、その多くはけっこう受け入れられていました。
 何が不安かといって、人々が、戦後に対する自信回復や新しい憲法、家父長制といったものに、アイデンティティが回収されてしまうということです。そうであれば、マルチチュードなんて幻想です。
 そんなことを考える5月です。

 ということはさておき、「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている」は、ある種の居心地の良さがあって、毎週楽しく見てしまうのですが、それってなぜなのか、ということも考えてしまうのです。