こちら葛飾区水元公園前通信622

 結局、「げんしけん」を最後まで見てしまいました。いやあ、コミフェスに出店するっていう、前向きな目標を持って、話が終わるという、それなりにポジティブでいいなあっていう、まあそういうものですけど。

 そんなわけで、総選挙は自民党が圧勝、民主党は惨敗して、新代表に前原。しょうがねえなあっていう。
 民主党には何も期待していないのだけれど、それでも小泉の暴走を止めるという一点だけで良かったのにな。多分、寄り合い所帯の民主党に大きな期待をしちゃいけないんだけれど、それでもうだうだと迷走してくれれば、それで十分だったし。時間がたてば、もう少し、何か違った展開が可能になるのかもしれないって。
 でもまあ、しょうがないですね。
 前原は民主党で最近主流となっている、松下政経塾出身の議員。実は思想的には小泉とあまり変わらない。こうなると、小さな政府対大きな政府という対立軸は、自民+民主対社民となってしまって、それじゃあまりにバランス悪いよな。

 それはそれとして、今回の選挙を通して感じたことっていうのは、知的インフラが本当に整備されていないなあっていうこと。思想インフラと経済学インフラっていうのかなあ。この二つが欠落しているから、優れた政策を提示しても、選択する側に受け取る基盤がないっていうわけ。
 思想インフラのことっていうのは、もう何回も書いているけれど、憲法を変えたくないのは、それが可能なだけの人権思想を育ててこなかったっていうことなんだけれど、それはさておいて。
 経済学インフラっていうのは、自民党民主党もまともなマクロ経済政策を提示できないし、また、それをしても受け取るだけの基盤がないから、できないのかもしれないっていう、そういうところにある。
 具体的に言えば、小泉自民党も前原民主党も、小さな政府を目指しているというところにある。確かに政府は巨額の財政赤字を抱えているし、そのため、財政再建と効率的な予算配分ということになってしまう。
 効率的な支出というのは、正しい発想だ。橋本派自民党が地方に手厚い予算を配分してきて、それによって地方経済が回ってきたけれど、それは無駄な道路造り
など、非効率なものがあまりに多かった。主要産業が建設業だったりすると、困ってしまうわけだし。
 だから、そういった利権構造につながる予算と議員をカットして、都市部に予算を集中させ、効率的にし、経済を成長させようというのが、本当に正しいのかどうか。実は、問題は予算が非効率だったということであり、地方に手厚い配分をしてきたということではなかった。そこがズレている。郵政民営化でみんな心配していたのは、地方では適切なサービスが受けられなくなるということではなかったか。

 むしろ、それなりに大きな政府セーフティネットがしっかりしていることが必要ではないのか。そのために予算を出動し、消費を喚起することで景気を回復していく政策が必要なのではないかと思う。
 じゃあ、政府の借金はどうするのかっていうと、これはもうほっとくしかない。
 結局、増税によって返そうとしたら、景気が悪化することは目に見えている。消費税を上げる段階ではないというのは、よく考えればわかる話だ。しかし、財政を縮小させ、セーフティネットユニバーサルサービスができなくなれば、やはり消費は冷え込むし、地方経済は回復しない。
 結局、景気回復し、それによってインフラとなることと、税収が増えることでしか、返すことができないのえはないか、ということになる。
 現在、税制改革や年金制度改革で言われていることは、世代間の公平化なんだけれど、どうなんだろうって思う。税もインフレも、結局は国民の資産を政府が吸い上げることになるのだけれど、大きな違いがある。税はフローから吸い上げていることに対し、インフレはストックから吸い上げていくことになる。というのも、現金資産が目減りするのがインフレなのだから。
 でも、だとすれば、現在の高齢者像を考えたとき、年金も含め、所得は確かにそこそこあるとして、むしろ貯蓄額が多いのが特長。だとすれば、そこから支払ってもらってもいいんじゃないかっていうことだ。
 正直なところ、インフレによって長期金利が上がるのはどうよっていうのは、確かにある。住宅ローンを抱えている身としては、ちょっとつらい。インフレになったからといって、それに応じて名目所得額が上がるとは限らないからだ。
 インフレターゲティングが批判されるのもわからないでもない。70年代日本はスタグフレーションを経験している。インフレなのに景気が悪いという状態だ。景気回復が約束されない中でのインフレは、このときの再現か? という。
 それでもなお、いずれにせよインフレが避けられないのに。将来的な消費税増税も価格を押し上げることでインフレとなるはず。景気が回復すれば、やはりインフレとなるのは、当然のこと。そこを見ないとだめなんじゃないか。

 ということで、米国ブッシュ的な政策によって、高所得者を減税し、富裕層の消費を拡大、不足分を広く薄い増税によってまかなうことで補う。それは確かに、日本経済を強くするかもしれないけれど、その政府の下で暮らす人々はハッピーになれない。だからこそ、それなりに大きな政府低所得者への手厚い保護、セーフティネット、地方への予算配分と自治権の拡大、拡大する所得格差を少しでも是正するような税制、円安誘導政策、そういったものが必要なのではないか。
 円安によって、インフレが支持され、同時に輸出の競争力が増すはず。

 というような政策を提案して、それで人々を説得できるものなのかどうか。そこにこそ、知的インフラが未整備だという問題があるわけなんだけれど。

 ともあれ、そんな現実を目の前にして、市野川容孝、小森陽一守中高明、米谷匡史らによる討議をまとめた「変成する思考」(岩波書店)を読んでいると、ぬるいんじゃないかっていう気がしてくる。
 たしかに、移民を容認しない日本における、言語の政治はとても重いものだとは思う。そこは確かに根底の問題としてある。また、守中の「法」でも感じたことだけれど、法の持つ「暴力」について、ぼくたちはあまりに無防備だとも思う。
 それでもなお、何か、まだのんきな討議をしているようにしか思えない。思えないほどに、日本という国の中にいる人々や政治、行政のシステムは病んでいるのではないか、とすら思うわけだ。
 この本のサブタイトルは「グローバル・ファシズムに抗して」というものだけれども、ぼくたちの足元のファシズムにこれほどまでに鈍感でいて、なおグローバル・ファシズムに抗することなんてできるのだろうか。そんなことを考えてしまう。
 公平のために言うと、岩波書店の思考のフロンティアのシリーズは実用的な思想が簡潔にまとめられていて、とても有用だし、それはおそらく、ドゥルーズ=ガタリの「リゾーム」なんかと較べてもいいような企画だという評価は少しも変わっていないし、本書についても同じ見方をしている。にもかかわらず、時代はどんどん悪い方向に行っているということ。
 それでもなお、こうした本が出版され、思想的インフラの整備の役割を少しでも担ってくれることを期待している。

 19日は近所の香取神社の祭礼で、子供会の子供神輿の担当をやっていた。大人の神輿は外から担ぎ手が来るけれど、子供神輿はそうはいかない。午後は野球クラブの子供たちが担いでくれたからいいようなものの、午前中はなかなかしんどいものがあった。
 なお、うちの子供たちは、最初と最後に山車をひっぱっただけで、お菓子なんぞをもらっていた。いや、まあ、親が神輿の担当をしていると、子供がいないのはすごく寂しいわけで、最後だけでいいからって、呼んだんだけどさ。