こちら葛飾区水元公園前通信615

自民党はせっせと郵政民営化賛成の候補を立てて、反対派つぶしをしている。まあ、選挙の争点がそうなんだから、論理的に考えれば当たり前のようなんだけれど、そうは見えない。実は本当の争点は、狂気を帯びたこの国の代表に、引き続きぼくたちの生活をあずけるのかどうか、そういうことなんだろう。だから、反対派つぶしの候補擁立が狂気を帯びて見えるんだと思う。
 それにしても、ぼくが選挙に何も期待しないというのは、きちんと理由がある。政治家やそれを支える投票権を持った国民とぼくとでは、日本国憲法にあるような「人権」についての思想や、「国」というものに対する考え方を共有していないからだ。
 良い例が北朝鮮をめぐる6カ国会議で、ここで日本の代表団は蚊帳の外だった。あまりに拉致問題にこだわりすぎるため、話にならないからだ。でも、その拉致問題の解決を、もっともプライオリティが高いものとしてきたのは、日本の国民自身なのだからしかたがない。いくらメディアが煽動したところで、こうしたヒステリックな感情に弱く、冷静な思考ができない国民性というのは、問題がある。そういう意味では、日本人の多くは、小泉と50歩100歩といったところか。
 多分、人権ということがよくわかっていれば、その対象は日本人だけではなく、北朝鮮を含む6カ国すべての国の人だっていうことに思い至るだろうし、そうしたときに、交渉は自ずと変わると思う。国というのが、民族を代表するものではなく、ここでは政府として、通常サービスを供給している国民に対し、何が最大の利益なのかを考えていけば、同様に違う結論が出るということだ。
 つまり、日本人の多くは例えば北朝鮮に対して経済制裁を主張してきたけれども、北朝鮮にも多くの人が住んでいて、きちんとした権利を持っているということに考えが至れば、そういう人たちを苦しめるような政策はとれないはず。国民感情をたてに拉致問題の解決を主張するよりも、いかにして北朝鮮という国の持っている軍事的リスクを減らしていくのか、そちらの方が、利益が大きいはず。
 北朝鮮問題はひとつの事例にすぎない。北方領土返還を盾に、ロシアとの前向きな協力を十分にしてこなかったこともその一つ。ODAでお金をばらまきながらも、少しも尊敬されない国になってしまったこともまた同様。死刑問題についても、死刑に賛成しながら、被害者の救済については何も考えてこなかったというのもまた、そうした事例なのだから。
 こうした考えに至らない政治家とそれを支える国民に、ぼくは何も期待できないと思う。当然、今回の選挙に、何が期待できる?

 ということはさておいて、ひさびさに、行ったことのなかった銭湯に足を運びました。
 一つは台東区竜泉3丁目、三ノ輪駅近くにある「一葉泉」。変わった名前だけれども、それもそのはず、樋口一葉のゆかりの地にあるのだから。なんで、ここに来たかと言うと、弟のかみさんの親戚が経営する銭湯だからです。ということで、行ってあげてください。
 番台ではなくロビーなんだけど、かなり前からロビーだったみたいで、年季が入っているけれど、くつろげるようになっています。中も同様にいい雰囲気で、浴槽のお湯は熱すぎることもなく、せまいけど余裕を持った感じです。何より、下町の感触を残した、時間を感じさせる古さがいいですね。

 もう一つは、錦糸町駅前にある錦糸浴場。駅の北側、少し路地を入ったところにある、小さな銭湯。たまたま、ここの日本海庄やで飲むということになっていて、早めに着いたので、とりあえず風呂、なのです。
 でも、小さい銭湯って、趣がないところが多いっていうのがあるなあ。それと、浴槽のお湯、かなり熱かった。だから、けっこう水で埋めてしまったのですが。早い時間だったので、老人系でみんな顔なじみで、まあ、そういうのがなんかいい雰囲気でしたけど。

 そうそう、遠藤ミチロウのインタビューで印象的だったのは、今度生まれてくるときは女性になりたいっていうこと。新しいソロアルバムで、戸川純の「蛹虫の女」のカバーをやっているんだけど、それもなんかうなずけるのでした。