こちら葛飾区水元公園前通信873

tenshinokuma2018-04-06

こんばんは。

 今年も花見は無事に終了しました。
 最近は、かみさんも子どもたちもつきあってくれないので、ちょっとさみしい感じではありますが、別に、飲むのが目的なので、まあいいでしょう。
 というか、飲むだけならいつでもどうぞ。

 何だかもう、政府は一年中エイプリルフール状態で、何が何だか、ですね。
 世の中、ダーティなハト派→クリーンなタカ派→ダーティなタカ派、という流れになっています。これでもまだ、民主党政権の方がダメだったって思います? そんなイメージ操作の先に、現在があります。
 安倍オトモダチ政権の腐敗と官僚自己保身腐敗が重なった状況は、そう簡単には修正できないと思うと、絶望的な気持ちになります。だって、政権交代したって、役人は変えられないでしょ。ホント、政権交代したら、すべての事務次官を民間から採用するぐらいしないと、ダメなんじゃないか、とも思うんですけどね。

 もうひとつ、絶望的な気分にさせられるのが、フェミニズムとよばれるものが、すっかり魔女狩りみたいなものになってしまったな、ということです。
 第三者から見たら気持ち悪い表現って、たしかにたくさんあって、不快に思う人はたくさんいると思うのです。代表的なものが、かなり前になるけど、会田誠の「雪、月、花」の連作でしょうか。最近では、「女子高生のふともも展」とか。でも、そうしたものを、クローズドな場所にあるものを、引っ張りだして、「禁止」してしまうというのは、何か違う気がするんです。
 そうしたものを欲望の対象として感じている人はいるし、それが隔離された場所で、その人のためにあるというのは、悪いことではないと思うのです。むしろ、そうした欲望そのものが「なかったこと」にされる、ということが問題なのです。
 そうした欲望に対して、批判はされるべきでしょう。でも、なかったことにするのは、別の問題です。人の欲望の本質の多様性そのものを、どこか人畜無害なものにつくりかえればいいのでしょうか?
 すべてのフェミニストがそうだとは言いません。でも、一部のフェミニストとよばれる人については、それは何かもう違うところに行ってしまったのではないか、と思うのです。

 そうしたことを踏まえた上で、坂井恵理の「ひだまり保育園おとな組」は3巻で無事完結しましたが、これはおすすめです。
 保育園が舞台とはいえ、さまざまな親子、カップルが登場します。大人が主役ですから。みんないろいろな問題を抱えている大人です。意外なところでは、ゲイの保育士も、いつかは子どもが欲しい、とか。
 3巻では、幼児性愛の問題も取り上げられます。というか、ここが一番注目されたかも。
 現実に、幼児に性欲を感じる人はいるし、だからそういったテーマのマンガなどの作品もあります。とはいえ、現実の幼児を性的対象としてとらえられ、その画像を所有されることは、幼児に対する人権の問題があります。そして、保護者としては、とても気持ち悪いし、心情的には許せないものだとも思います。だから、イリナ・イオネスコの娘の写真もNGではあるのです。
 まあ、勝手に画像を所有されるということは、大人であっても問題ではあるのですが。
 坂井はさらに、こうした幼児性愛の背景に、幼児であれば支配できるという意識があるのではないか、と指摘します。
 坂井が描く、保護者の気持ちや幼児の守られるべき権利などはその通りだし、幼児性愛に対する批判も納得いくものです。それは、批判されるべきものだと思います。
 けれども、坂井は幼児を性的対象として感じることそのものを犯罪だとは言いません。問題ではあるけれど、人の内面まで禁止にはできないからだと思います。
 だから、坂井が描いた作品は、ぼくにはすんなりと納得いくのです。
 まあでも、これは作品としてはほんの一部。全三巻を通じて、ジェンダーと育児というテーマを、多面的に描いている、いい作品だと思います。

 カール・ジンマー&ダグラス・J・エムレンの「進化の教科書」全3巻(講談社)は、これもおすすめです。ブルーバックスという手ごろなスタイルで、専門知識がなくてもわかりやすく、でもこの分野の最先端の知見が盛り込まれているという、とても素敵な本です。いろいろうんちくを語るのにも使えます。
 進化といっても、さまざまな視点があります。生物はいかにして、新しい種をうみだすのか。人類はどのように進化したのか。鳥の羽は爬虫類のウロコからどのようなしくみで変化したのか。複雑な目をつくる遺伝子は。行動は遺伝するものなのか。
 進化にあたっては、有性生殖と遺伝子の優生・劣性といったことも欠かせません。では、どのような有性生殖を行い、適応した遺伝子を残していくのか。
 鳥は一夫一婦というイメージがあるけれど、ある種の鳥はメスがあちこちで浮気をしていて、夫は誰の子かわからない卵を温めている、とか。でも、そうすることでメスの遺伝子が残りやすくなるのかもしれません。ある種のトカゲは、大中小3種類のオスがいて、強いオスが支配的だと小さいオスがハーレムでこっそりとメスと交尾し、中ぐらいのオスが多いときは一夫一婦になるのでその小さいオスは交尾の機会がなくなる、3すくみになっている、とか。
 そもそも、ヒトですら、文化によって一夫一婦だったり一夫多妻だったり多夫一妻だったりするわけで、生物的に男性はこうあるべきだ、なんていうことは少しもない、ということもわかります。

 小野美由紀著「メゾン刻の湯」(ポプラ社)も読みました。銭湯を舞台にした小説ですが、迷える青年たちが銭湯に住んでいる、という話でしょうか。
 刻の湯は老妻に先立たれた老人が経営する銭湯なのですが、いつしか、若者たちが住むようになり、彼らが銭湯の仕事を手伝いながら、生活している、という設定。主人公もまた、大学を卒業したものの、就職できずに迷える青年だし、彼を刻の湯に誘った女友達もまた、会社が合わなくて退職してしまった。ITベンチャーで成功したのにその地位をあっさり捨てた青年とか、いろいろあって母親と別れて過ごすことになった老人の孫とか。
 銭湯が舞台というと、明るい話のような気もしますが、どちらかといえばビターな感じ。でも、いろいろな人が交差する銭湯という場所が教えてくれることは、たくさんあるな、と、そんなことも感じる小説です。

 ポプラ社続きで、松村栄子著「花のお江戸で粗茶一服」も。これは、「雨にも負けず粗茶一服」「風にも負けず粗茶一服」に続く作品で、主人公の遊馬は京都から実家に戻るところからはじまります。
 もはや少年ではない遊馬が、茶道の家元を継ぐのかどうか、どのようにして生きていくのか、そんな迷いを中心に、さまざまな人々が描かれる、とまあ、そんな小説です。坂東巴流の茶道とは、弓道と剣道も修める、武家茶道ということになっていて、茶道だけにとどまらないにぎやかさもあります。
 でもまあ、中心にある茶道が、どのように人を結びつけ、それによって迷いが絶ち切られていくのか、そのあたりはなかなか読んでいて、ゆったりと感じるところでもあります。

 とまあ、今夜はこんなところで。