こちら葛飾区水元公園前通信847

tenshinokuma2016-09-28

 とうとう、少年ジャンプで連載されていた「こちら葛飾区亀有公園前派出所」が最終回を迎えてしまいました。
 まあ、連載は終わるだろうなっていうフラグがたっていたので、予想はしていたのですが。
 フラグって? ひとつは、「こち亀ジャンプ」にも再録されている、両さんの誕生日の話。中川が「気が付くと先輩がいなくなってしまうような気がして。今のうちにお祝いしておこうと思うんですよ」とか、そんなことを語っていて、ああ、もう終わらせる決心をしたんだな、と感じました。
 それだけじゃなく、最近のコミックスはボリュームアップしていて。200巻ちょうどで終わらせるっていう準備だなあと。40年というのもきりがいいし。
 そして、何がすごいって、最終回のジャンプの発行と同時にコミックスも出るという荒業をやってくれたあたり、さすがだなあ、とただひたすら感心。といっても、実は最終回のオチは、ジャンプ掲載のものとちがっていて、それでジャンプを買いに行ったら売り切れ、と。
 実は、翌週土曜日には、追加で亀有のツタヤに入荷していたので、買ってしまったんですけどね。
 そうそう、その亀有駅こち亀であふれていました。人も多かったなあ。
 「こち亀」はとりあえず、終わってしまったわけですが、「ミスタークリス」など、次の作品もたくさん準備しているみたいで、さびしい感じはしないです。そのうちまた、「こち亀」は帰ってくるんじゃないかなあ。コミックスのラストは、これで終わり、という雰囲気がまったくなかったので。
 ところでこのメールも、25年は続いているな。40年まで、あと15年だ。

 9月は、なんだかバタバタしている間に過ぎてしまったなあ。
 1月にサラリーマンになったわけですが、もうそろそろフリーランスに戻ろうかな、などと考え始めたりしていて。向かないことをやっているのは、いかんなあ、と。とは思うのですが、そうすぐに戻れるわけでもなく、目の前のことをとりあえず片づけていこうといったところでしょうか。
 まあ、このあたりのことは、またいずれ。

 そうですね、9月は雨ばっかりだったというのもあるなあ。ほとんど出かけていないや。シューレ中学の卒親の「大人の遠足」で、澤の井の酒蔵見学はしたけど。これは、久しぶりでしたが、試飲コーナーでけっこう飲んだなあ。そのあと、気持ちよく渓谷を歩いたし。
 来年の大人の遠足はワイナリーということになったみたいで。はい、プランを考えます。

 息子の方はというと、夏休みの終わりには、叔父さん(かみさんの弟)のいる種子島に行き、フエダイを釣ったとか自慢し、今月末は、修学旅行で京都・奈良。不登校なのに、修学旅行には行く、というのは、なかなか太い神経しているよな、と感心します。

 本だけは、けっこう読んでいます。通勤時間が長いせいですね。
 高原英理の「不機嫌な姫とブルックナー団」(講談社)。ブルオタの話か、と思いきや、ブルックナー伝(未完)がはさまっていて。ブルックナーをきちんと聴いたことのないぼくでも、けっこう楽しく読めました。でも、ちょっと物足りなかったかも。もうちょっと姫とブルックナー団の活躍はなかったのか、とか。
 高原はホラー作家というか幻想文学評論家というか、そういう人なだけに、設定としては意外だなあ、とは思ったけれども。

 松田青子の「ワイルドフラワーの見えない一年」(河出書房新社)。松田の三冊目の短編集というか、掌編集。好きな作家で、たとえばフェミだけどちょっとずらしてみました、みたいなところが好きだったりします。そういう作品もちょっとあって。でも、国歌の話とかも、好きだな。

 李鋭の「無風の樹」(岩波現代文庫)。積ん読だった本。文革時代の、中国西部の小さな村の話。小人村とよばれる村の住民はみんな風土病で小人。この村にやってきた暖玉という女性が、暗黙のうちに共有されている。救いもなく希望もないけれども生きていかなくてはいけない。そんなところでも、文革は無縁ではない。ということが、ボリフォニックに記述される。

 アラン・ロブ=グリエの「消しゴム」(光文社クラシック文庫)。ひさしぶりにヌーヴォーロマンを読んだ。デビュー作だけあって、読むだけなら読みやすいです。「嫉妬」なんて、何が書いてあるかわからなかったもんな。
 じゃあ「消しゴム」はどうかというと、とりあえず時制がわかりにくくって。死体も犯人もない殺人事件を追っていくという、答えのないミステリー。っていうと、ポール・オースターの「シティ・オブ・グラス」を思い出すけれど、それもちょっと違うかな。

 ハーラン・エリスンの「死の鳥」(早川文庫)。日本では、ようやく2冊目のエリスンである。雑誌に掲載されたままだった短編を集めた、日本オリジナル短編集である。半分くらいは、読んだことあるのですが、今回再読してみて、なかなかいいのではないか、と。ダメな大人の短編集という感じ。どっちかというと、主人公は不幸になる。そんなどうしようもなさが、そうはいっても、結局のところ、人間、なれるのはダメな大人だし、未来はその延長、という。そんな世界がここにはあります。
 「世界の中心で愛を叫んだけもの」以来、何年待ったのでしょうか。

 三枝匡の「経営パワーの危機」(日経人物文庫)は、これもブックオフで買ったっきり、積ん読だったもの。小説のスタイルのビジネス書。ビジネス書に書いてあることを信じるのはどうかとは思うけれど、頭の中を整理するにはいいですね。

 ロジャー・パルバースの「新バイブル・ストーリー」。旧約聖書のいくつかのエピソードを現代風にアレンジした短編集。設定は変わらないけれど、感情の動きの表現が現代ってか。書かれた背景には、当時の米国ブッシュ政権に対する批判があった。で、それを日本で読むときには、安倍政権に対する批判という気持ちで読める。という意味では、今でこそ日本語でぜひ、と。これもブックオフで買ったんだっけな。

 まだ他にも読んだのだけど、それはまた別の機会に。
 今月はこんなところで。