とても不思議、というか皮肉とした言いようがないということ。
このまえの日記で、永山則夫のことを書いた。実はぼくは「木橋」くらいしか読んだ事がなくって、「無知の涙」も「華」も未読なのだけれども。
それでもぼくは、永山が「華」を未完のまま残してしまったことで、それは失われてしまったと書いた。たぶん、永山に興味がないあっとうてき多数の人間にとって、しかも死刑制度を支持する場合、それはどうでもいいかもしれない。けれども、そうした個人の考えはあくまで個人のものであって、社会的なものとは別だし、それは死刑を支持する理由にはならない。
さて、問題は今回の裁判において、弁護団がとった主張だ。
情状酌量を求めなかったということで、あえて不利な戦術をとってしまった、という指摘もある。かえって世間の反感を買ってしまったのではないか、と。
けれども、この裁判においては、あくまでも事実を争っていたということに、とても意味がある。
そもそも、この裁判の一審、二審では、被告は犯行当時未成年だったことから、死刑が回避されるかわりに、検察の主張を認めさせたということがあったのではないか、と見ている。ところが、そうした量刑に対して不満があったことから、差し戻し控訴審になった。こうしたとき、被告の置かれた立場は、これまでと大きく異なってしまった。裁判をなあなあで済ませるわけにはいかなかったということだ。
こうした状況に置かれたとき、新たに編成された弁護団は、そうであれば事実を争うという立場をとったということは、決して不思議ではないと思う。起訴をは異なる事実を掘り起こし、これまでの裁判での主張とは異なるものとなっていった。
結果として、弁護団の主張は退けられることになる。しかし、この事件がどのようなものであったのか、という記録は残ることになる。
この事件では、未成年が起こした事件であると同時に、被告は当時まで成熟する機会を与えられなかったということも語られている。そうした状況において犯してしまった犯罪に対し、救われることなく裁かれてしまうこととはどういうことなのか、そうした指摘を含んだ記録が残されたということになる。
繰り返すが、未成年に対して量刑が軽くなるというのは、未成年そのものが犯罪を犯すことから保護されるべきである、という考え方があるはずだ。したがって、未成年の犯罪の場合、その原因はその未成年にすべて負わせることはできないという立場である。つまり、その事件の責任は、社会も等しく負うべきだし、そうはならない社会福祉が欠けていたということになる。
今回の裁判において、事実を争ったということは、犯罪に及ぶ背景をも明らかにしていったということだ。
皮肉なこと、というこはこういうことである。この裁判を通じて、被告そのものが弁護団とともに、社会に対して何らかのメッセージを発したということであり、そのことは実は社会的な価値を持っている、ということである。
もっと言ってしまえば、この裁判にまつわる一連の動きというものが、たとえば、多くの日本人が乗せられて「死刑を求める合唱」というものが形作られてしまったという事実(しかも、ワイドショーで不適な発言をした弁護士が知事に当選するというおまけまで)が残ることになった。そのことは、これからの裁判員制度の運用にいいか悪いかは別にして影響を与えることになると思う。
そもそも、死んでいい人というのはいないと思っている。生きていることには、常に何らかの意味があると思う。それが当人が生きる権利の根拠だとも思うし、周囲の人間における権利だとも思う。
そしてそのことは、死刑を廃止する根拠になると思う。この裁判そのものが、被告が生きる根拠になる。
こうしたことは、短期的には理解されないことだ。そうではあっても、そのことをきちんと語っていく、そういうことが必要だと思う。
もちろん、被告が死刑が回避できるようになる、ということは優先される。
そういうこととは関係なく、写真は亀有にある公園のベンチを支えるカメである。