こちら葛飾区水元公園前通信670

 日本シリーズ第2戦は、落合で負けたゲームではなかったか、と思う。
 ツーアウトでランナーがいて、一塁が空いている場合、そのあとの打者が投手であれば、打者を敬遠するなり勝負を避けるなりして、次ぎの打者との勝負にするという手がある。しかも、1点差でリードしており、これを守らなくてはならない。
 第1戦にも同じ場面があって、このときこのときも落合監督はマウンドに足を運んだ。おそらくそこでは、8番打者と勝負をすることを確認したのだと思う。落合の性格からいけば、舞台の大きさと川上のプライドから、勝負を選択するし、川上の迷いを断ち切ることで中途半端なピッチングを避けるということになる。
 同じ場面で、落合は山本がいるマウンドにも足を運んだ。だが、同じようなケースでありながら、やはりここでは、落合はマウンドに行くことで、かえって混乱を与えてしまっていた。なぜなら、山本はむしろ、大ベテランとして、中途半端なピッチングをしてもいい場面だからだ。勝負なのかそうではないのか、相手に確信を与えないまま、というのは、投手に有利だし、山本はそれを使えた。でも、そうした選択肢をなくしてしまった。そして金子に打たれ、逆転を許す。
 同じような場面であっても、同じ行為が同じ結果をもたらすわけではない。
 まあ、そのあとは、武田久の向かっていくようなピッチングと、マイケル中村のクールなピッチングで中日は抑えられたわけだけれども。マイケルのラストボール、あのカーブは打てないよなあって思うのであった。

 衆議員補選は、どっちも自民党の勝ち? つまんないよなあ。

 野中柊の「参加型猫」(角川文庫)、引越し途中の場面からはじまって、最後まで引越しは終わらない。「ダルグレン」かよ、などと思う人も、3人ぐらいはいるかもしれないな。

 藤野千夜の「彼女の部屋」(講談社文庫)、死んだ父親が戻ってくる話が好きだな。普通に受け入れ、あまつさえ墓参りまでしてしまうのに、存在感のない父親って。

 ということで、「のだめカンタービレ」は、けっこう好きです。