こちら葛飾区水元公園前通信842

 こんにちは。
 今日で4月も終わりです。早いですね。
 なんというか、その。

 まず、告知から。
 トークングヘッズ叢書No.66 サーカス特集が刊行されました。もう書店には並んでいると思います。
 今回も、ご購読のほど、よろしくお願いします。

 4月もあわただしくすぎていきました。会社員に戻って4カ月、まだなれていないです。まあ、いいんですけど。こういう形で会社員に戻るっていうのは、レアケースだと思うので、それはそれでおもしろいな、とも思うのですが。

 通勤時間が長くなったので、けっこう本は読めています。
 ジョン・スラディックの「ロデリック」(河出書房新社)は、面白かったです。というか、ねじがはずれたようなスラディックの小説ですが、ロボットなだけに、ほんとうにねじがはずれている、と。
 ただ、読んでいる時期に、AIが囲碁で最強の棋士に勝ったとか、そんなニュースが流れているので。「ロデリック」には、いろいろない引用がなされていて、笑ってしまうのだけれども、何よりロボット三原則に対する疑問っていうのが、ポイントかも。なぜ、ロボットだけがそんな原則を守らなきゃいけないのか。
 ロデリックは成長するロボット。ロボットが成長するのかどうか、といえば、AIも学んでいくわけで、その結果として将棋や囲碁で強いソフトウェアができる。
 じゃあ、AIって何だろう、ということになるのかな。
 とまあ、そんなことを思いながら、読んだのでした。

 莫言の「牛/築路」(岩波書店)も読みました。文庫で読めるっていうのがいいですね。マジックリアリズムを期待すると、ちょっと違うかなって思うけど。文化大革命とか、そんな時代の、人々はそれでもどうしようもなく人間でしかないと、そんな姿が描かれた小説です。特に「牛」は読みやすいのでおすすめ。生産財として人間以上に大切にされていた牛だけれども、現場ではえさの確保もままならない。かといって殺すわけにはいかないし、といったことが、少年の目から語られます。まあ、しょうがねえなあ、という大人たちのすがたも。
 こういった時代の先に、今の中国がある、ともいえるわけですが。

 中屋敷均の「ウイルスは生きている」(講談社)を読み、ついでのその前の本である「生命のからくり」(講談社)もついでに。
 ウイルスは生物ではない、ということで生物学を学んできたところがあるけれども、中屋敷はウイルスは生物であるという。というか、グレーゾーンがあるわけだし、と。
 ぼく自身の解釈をすれば、生物はDNAなどの情報がコピーされ増えていくと同時に、改変されて生き残っていく、そういうシステムの中にある、と。そういった中で、人間の特殊性は、DNAではなくことばなどの形で情報を残していけるということ。
 生物っていうのは、個体ということでもじつはきっちりとわけられるものではないし、遺伝子そのものも、ウイルスを通じて水平展開だってしていく。ということでは、個体を境にして、生態学と生理学や分子生物学などにわかれていくはずが、そこもけっこうグレーゾーンで、遺伝子の海みたいなところがあるんじゃないか、と。
 ぼくの考えとしては、ウイルスを単純に生きているものだとは思わないけれども、生物というシステムの中で重要なはたらきをするものだとは思う。そういったユニットとしてあるのかも。でも、中屋敷のような見方をすれば、まあ、生物だな、とも。
 あるいは、生物のかけらなのかもしれないですね。

 花見は、結局、4月9日にやりました。ずいぶんと散ってしまってはいたのですが。でも、おいしくお酒を飲めれば、それでいいのです。

 今期の深夜アニメは、まあ、そうですね。
 おすすめしませんが、「ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った?」を見ていると、ネットワークそのものが、人を癒し救うことができるものなんじゃないか、と思ってしまいます。というようなことについて、別の機会に書きたいと思っています。
 それは「この素晴らしい世界に祝福を」と「灰と幻想のグリムガル」にもつながる話なのですが。

 では、きょうはこんなところで、おやすみなさい。