ここではないどこか

tenshinokuma2012-08-10

今週のお題「私のふるさと」
 ふと、自分のふるさとと言われて、考えてしまう。生まれは練馬区だけれど、親のことを考えると、それを素直にふるさとだとは言えない。親父の実家はもうすぐに壊されてしまうけど、親父は見たくないっていうし。
 育ったのは足立区だけれども、ここもあまり好きな場所ではない。だから、そこに住むことはしていない。今でも親が住んでいるけれども。
 そのあと、水戸市に4年間、品川区に7年間住んだ。そして葛飾区には20年以上住んでいる。自分の人生の中で、もっとも長い時間を過ごした場所となっている。葛飾区は気に入っているので、まだ当分はここにいると思う。でも、いまいる場所をふるさととはいわない。
 母親の実家、父親の疎開先は栃木県真岡市(旧二宮町)である。その田園風景は、ふるさとというイメージに近いかもしれない。嫌いじゃない。でも、親戚との縁が遠くなってしまったので、やっぱりちがうかな。そこに住みたいとは思わない。
 そうは思うのだけれど、見方を変えると、ふるさとはもっと近いのかもしれないとも思う。例えば、夏から秋にかけて、息子とハゼ釣りに行くけれども、その背後には、ぼくが子どもの頃に父親に連れられて、やはりハゼ釣りに行った記憶があるからだ。ハゼ釣りそのもの、天ぷらを食べた記憶、そういうものがふるさととしてあるのかもしれない。
 さて、では自分の子どもたちにとって、葛飾区はふるさとになるのだろうか。ならないような気がしている。ふるさとというのは帰ることができる場所なのかもしれない、と思うと、子どもたちがここを出て行ったあと、帰る場所として残っているのかどうか、わからないからだ。さらに、放射能汚染のホットスポットとなってしまったとき、それでもふるさとであり続けられるのかどうか。それでも、人は行った先で生きなきゃいけない。ぼくがそうであるように。
 ここではないどこかに行くということは、ぼくはけっこう好きだ。子どもたちがどう思っているかはわからない。けれど、いくら葛飾区が好きでも、あるとき、ここではないどこかに行くということを決断してしまうかもしれない。