上関原子力は建設中止すべき

tenshinokuma2010-11-25

 というような内容の院内集会に参加。写真はそのときのもの。
 広河隆一氏のチェルノブイリと上関を重ねたプレゼンテーション。原子力のリスクは大きいというのは、その通りだと思う。
 思い出したのは、珠洲原子力の計画中止のこと。北陸電力の人は、こんなきれいな場所に原子力をつくるべきではないと思っていた。同じことを、中国電力の人は考えないのだろうか、と思う。
 もちろん、珠洲の開発は関西、中部、北陸の3社による共同立地だったのに対し、上関は中国の単独の立地だ。
 でも、中国電力の経営を考えていくと、需要はそこまでないし、建設のための経済的負担は大きいし、あまりメリットはない。島根3号ができるので十分。もっとも、関西電力が電気を買ってくれることをあてにしているだろうし、そのために送電系統も整備してあるというのは事実。では、関電は買うのかっていうと、多分、まだいらない。敦賀があるし。
 でも、とりあえず整備しておいてくれると、関電としてはうれしい、というレベルなのだろうか。
 本当に、中国電力は自らの意思で、上関を建設しようとしているのか、そこに疑問がある。けっこう、電気事業連合会の中で、弱小地方電力会社は、「いいかげん、おまえのところももっと原発をつくれよ」とか、いじめられたりしているのだろうか、などとも想像してしまう。ジャイアン電力が、のび太電力のくせになまいきだぞ、とか言いながら、自分でリスクを背負わずに、安定した二酸化炭素のない電源を手に入れる。ありそうだな、なんだか。
 本当に、上関原子力は、中国電力のためにもならない。二酸化炭素を減らしたいのなら、瀬戸内工業地帯で積極的なエネルギープロバイダサービスをしたり、得意の石炭火力の技術でCDMや共同実施などを展開すればいいことだ。
 写真はベルリン自由大学教授のルッツ・メッツ博士。原子力政策が専門。とりあえず、ドイツの最終処分は2100年以降になるとか。現役世代はみんな死んでるんじゃないか? そんな状況なら、確かに原子力はやめるよな、と思う。
 スラヴォイ・ジジェクの「ポストモダン共産主義」(ちくま新書)を読んでいる。
 それから、金田一蓮十郎の新刊を2冊買った。それと、日経サイエンスも。