ブルーコーラ

tenshinokuma2010-08-11

 サッポロの製品。ファミマとampm限定、とか。昔、ペプシにもブルーコーラはあったらしい。
 さて、味だけど、爽快という感じがしない。歯医者で治療したあとに、サイダーを飲んでます、という感じである。
 ペンギンの絵がかわいいので、いいけど。

 以下、別のブログからコピペ

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 大阪の児童遺棄事件、2人の子どもを死に至らしめた母親が殺人罪の容疑で再逮捕された。

 本当に、亡くなった子どものことを考えると、胸が痛む。同じ2人の人間が死んでも、子どもだとほんとうにつらい。どんな状況で、死んでいったのか。
 老人ならいいというものでもないのだが、これは本能的なものなんだろうな。

 容疑者には2人の命を奪ったことを重く受け止めてもらいたいと思う。

 同時に、何とかならなかったのかと思う。もちろん、今回の事件で、児童相談所に対する批判がかなりあったらしいということも含めて。

 モラルのことを考える。母親は、子どもを部屋の置き去りにするのではなく、いっそのこと、交番なりもっと別の、人がいる場所に置き去りにできなかったのか、という。
 あるいは、となりの家に置き去りでもいい。
 それでもまだ、命が救われる、そういう判断ができる、そうしたモラルを、どこかで共有しておくことも、あるんじゃないかって思う。
 それでも、生きていれば、和解もできたかもしれない。

 以前、機会費用のことを書いた。
 23歳の独身女性にとって、2人の子どもというのは、とても重いものだったと思う。本来なら、子どもに縛られることなく、自由に生きられると思っても不思議はない。それが機会費用というものだ。別のケースで、パチンコの間に車の中で乳児が亡くなるという事件では、パチンコが機会費用になる。
 だからといって、子どもを遺棄することを正当化することはできない。だったら、そうしたことなしに、子どものいない自分を取り戻すということが、何らかの代償が必要だとしても、ありえたと思う。
 捨て子の方が、まだましだ。

 やりきれない事件だけれど、この事件だけがすべてじゃない。子どもがじゃまになってしまうことは、少なくない。
 ひどい母親だとは思うけれど、ひどい母親だけを責めても、悲劇は避けられないとも思う。

 そもそも、そこにはしばしば、ひどい父親がいない、ということも指摘しなきゃいけない。実は、ひどい父親の方が、ひどい母親よりも、圧倒的に多い。
 離婚して、養育費を払わない父親のことだ。でも、そうした父親のことは、あまり責められていない。

 ひどい母親だと思うし、それは責められるべきだ。でも、そうなる前に、助けられるべきものでもあったと思う。
 児童虐待は、弱い者にしわ寄せがいくというしくみだ。虐待する側もまた、弱い存在なのだと思う。
 子どもが好きになれない人は、子どもと別れたほうが、子どものためでもある、というようなことまで含めて、そう思う。
 あるいは、子どもを育てるのが難しい人は、もっとサポートされるべきだとも思う。それが、子どものためだ。

 子どもを捨てて逃げたとしても、その子どもが生き延びられるのであれば、ひどい親だとは言わない、そのぐらいの覚悟が必要だとも思う。
 そう思うことも、育児の社会化なのだろう。。