こちら葛飾区水元公園前通信756

tenshinokuma2009-10-23

 何だか、時間がつくれそうでなかなかつくれない、そんな毎日です。
 そんな合間をぬって、今月はオーガニックEXPOやグルメ&ダイニングショーなどの展示会にも足を運んでしまいました。オーガニックEXPOでは、本当においしいワインをいろいろと試飲させてもらいましたし、グルメ&ダイニングショーでは、地方で開発した食品をいろいろと試食させてもらいました。お酒も飲んだけど。
 オーガニックEXPOのことは、原稿を書きましたよ、いちおう。

 今月末には、ぼくがかかわった本も2冊出ます。
 1冊は、「家庭用コージェネレション入門」(ノラ・コミュニケーションズ)で、ぼくはあとがきで著者を代表したことになっているけれど、実質、ぼくが1人で書きました。といっても、LPガス会社や都市ガス会社、ガス工事会社に向けて書いた本だし、あまり店頭には並ばないと思いますが、アマゾンで書影くらいは見てやって下さい。あえて、買えとは言いません。買うならまず、「クマによるとこの世界は・・・」(オンブック)が先です。
 もう1冊は、「EAMの基本と仕組みがよ〜くわかる本」(秀和システム)です。こちらはビジネス書が充実した書店では、生産管理のコーナーなどに並ぶとは思います。とはいえ、プラントの設備保全についての専門書ですし、製造業の経営者にはぜひ読んでもらいたいけれども、一般の人には無用の本ですので、これも買えとは言いません。著者はEAM研究会となっていますが、ぼくはプロデューサーとしてこの研究会に2年間伴走しました。実は、この本の製作は、ぼくにとって金銭的にはまったく割に合わないものなのですが、貴重な人間関係が構築できたということでは、とても良かったと思っています。また、いろいろなことを学びましたし。そういうことも、少しは必要です。

 そうそう、トーキングヘッズ叢書No.40も出ます。これも忘れてはいけないですね。こちらは、ぜひとも買って下さい。特集は「巫女」です。
 ぼくは、鳥居みゆきについて書きました。何だか、お笑い番組ばかり見ているせいなのですが、それにしても鳥居は気になる存在です。お笑い芸人で芸はすぐに飽きられて、あとはバラエティ番組で生き残っていくしかないのだけれども、その点鳥居のキャラクターは、飽きられることなく進化していくものなのではないかと思っています。すごく、特殊な存在だと思うのです。

 そうそう、机を買ってしまいました。今まで、かみさんの部屋にパソコンを置いていたのだけれど、それを引き取ったということです。何だか、すごく狭い部屋になってしまいました。ベッドにたくさんの本棚、何というか。

 CDはまた、いろいろ買ってしまいました。
 坂本龍一のピアノのよるツアーのライブアルバムが出たので、買ったのですが、「アウト・オブ・ノイズ」ほど気持ち良くなくって、全体にフラットな印象があって。うーん、そっちが良すぎたのかなあ。
 ビル・ブラフォードとパトリック・モラーツのライブアルバム「イン・トーキョー」は、すごくいいです。このデュオで、モラーツの「ストーリー・オブ・アイ」の曲なんかを演奏していて、これがほんとにスリリングな演奏なんです。多分、楽曲そのものが、このデュオの曲よりもいいっていうことがあるんでしょう。ラテン系のリズムをブラフォードが違う解釈をしていて、それがまた、何というか。今年のベストの1枚といったところでしょうか。録音は20年前なんですねどね。
 同じブラフォードでも、ピアノサーカスとの共演は、ブラフォードのドラムのための音楽という感触が強くって。ピアノサーカスは、スティーブ・ライヒの「シックス・ピアノズ」やテリー・ライリーの「インC」を収録したアルバムは持っていて、これはけっこうよく聴いたんですけどね。
 デボラ・アンダーソンという人がいて、この人はジョン・アンダーソンの娘なんだけど、そのデビューアルバム「サイレンス」も買いました。でも、まあ、そうですね。ソウル・ミュージックです、はい。いいんです、これは。

 鹿島田真希の「六〇〇〇度の愛」(新潮文庫)を読んでいて、フランス映画みたいだな、と思っていたら、どうも、マルグリット・デュラスの「愛人」と「ヒロシマ私の恋人」だという、確かに舞台はナガサキだし、という、なるほど、ですね。と言いつつ、ぼくはあまりデュラスは好きじゃなくって、それでも、アラン・レネ監督の映画は悪くなかったので、というところはあるかな。フランス映画は、好きなんだけど、だからこそ、鹿島田の小説をうまく言えない、好きか嫌いか判断できないっていうのはあるかもしれないな。

 青木淳悟の「四十日と四十夜のメルヘン」(新潮文庫)は、何が書いてあるかよくわからないけど、読み終わってから、でもけっこう面白かったな、と思い出すという、保坂和志の解説は、その通りだと思いました。小説家になろうとしているのだけど、生活があるからチラシ配りのバイトをしていて、そのチラシの裏にメルヘンを書いていて、その話とチラシ配りの話が混乱してきたり、「クレーター」のほとりで、とにかく人類が進化していく。それだけなんだけど。


 宮内勝典の「焼身」(集英社)も読んだ。これもまた、ぼくの問題なんだけれど、主人公が9.11に衝撃を受けたこと、そこに関連して、ベトナム焼身供養した僧侶が気になり、その僧侶を調べるためにベトナムに行くということが、ぼくの中で、ずっとつながらないままでいた。宮内のエッセイの中で、そのことは書かれているのだけれども、感覚としてつながっていかない。そこに、ぼくと宮内の距離があるのかもしれない、ということをぼんやりと考えていた。僧侶の姿を求める旅は、とてもスリリングだし、ある意味では探偵小説ですらある、のだけれども。いや、聖杯探求かな。
 ぼくたちには、自爆テロというものがよくわからなかったりする。なぜ、生きないのか、と。けれども、死ぬことでしか希望を見つけられないほど絶望的な社会というものも存在しているし、だから自爆テロがある、ということも言えるのだと思う。そこにおいてなお、欲望を持った人間でいられるのかどうか。

 今日はめずらしく、釣りの話がないって思ったでしょ。24日土曜日、横須賀の大津港に行く予定です。

 写真は、オクラの花です。