小沢一郎の自殺行為

tenshinokuma2009-10-21

 民主党に対しては、それなりに政策を支持しているのだけれども、ここにきて不安も出ている。
 別に、国家予算が95兆円という話ではない。

 民主党は与党と政府が一体だとして、議員立法を禁じたり、議員連盟の参加を禁じたり、あるいは代表質問を避けたりといったことになっている。
 社民党はこうしたことを立法府の自殺行為だとしているのだけれども、ぼくもそう思う。
 そもそも、国会は立法府なのだから、国会議員に議員立法を禁じるというのは、おかしな話だと思うことが第一点。
 それから、法案作成にあたって、国会議員というリソースを使わない理由はないということが第二点。
 ここまではわかりやすいと思う。
 もっと問題なのは、議員の思想には多様性があり、それが一つの政党にまとまるということが、そもそも問題だということがある。民主党という政党とは別に、議員はその地域で選ばれたという性質も持っている。そこを無視することはどうなのか、ということもある。
 以前、小選挙区制が機能するためには、法案の採決にあたって、党議拘束をなくすべきだと書いたことがある。小選挙区が多様性を問わない選挙だからこそ、選んだ地域の多様性が残されるべきだということがあるからだ。あるいは、議員個人の多様性があることで、大きなブレを防ぐことになる。法案を成立させるためには、与党の中の声の大きい人間が賛成すればいいということになるからだ。それが、与党で多数になれば、最小では国会議員の4分の1強で法案が成立する。しかも、小選挙区制が死票が多いということを考えると、国民全体の意見を反映しにくいことになる。そうであればこそ、国会議員の自主性を求めるべきだ。
 そして、そうであれば当然、議員立法は認められてしかるべきだ。
 政府と与党が一体であったとしても、議員個人はそこにすべての面で拘束されることはない。もちろん、マニフェストに書かれたことというのはあるが、一方で選択的夫婦別姓など、議員個人の見解が求められるものもたくさんある。それは、任期中にも増えていくはずだ。

 なぜこれが小沢の自殺行為なのか。小沢は、以前も書いたけど、明確な政治的思想を持っている政治家ではないが、権力の掌握についてはたけている。しかし、そのことが、過去、何度も政党を壊してきたことにもつながっている。
 小沢が幹事長となって、政党としてのガバナンスを強化しようとすればするほど、政党は壊れやすくなる、反発を産むのではないだろうか。
 自民党が崩壊してしまった現在、仮想的を持たない小沢は、また暴走してしまうのかもしれない。

 ということを考えていたのだけれど、その意味では、閣僚の自主性にまかせている鳩山というのは、その対極にあるかもしれない。けっこう、小沢と鳩山の対立で民主党が崩壊する、あるいは鳩山が小沢に引導を渡す、そういったこともあるかもしれない、とも思ってしまう。

 ということとは関係なく、写真は鶴舞公園。ホワイトバランスを間違えた写真になってしまいました。