写真は昨日のランチ。三島由紀夫が死の前日、最後の晩餐をとった店だとか。鳥料理専門店である。
お昼は親子丼、から揚げ、タツタ揚げの3種が用意されている。そして、ぼくが食べたのは、タツタ揚げ定食である。
でも、出てきたのは、メンチカツだった。確かに、メンチカツとして食べるととてもおいしい。油っこくなく、さくっとした衣にウスターソースをかけて食べれば、けっこう満足はする。でも、これってタツタ揚げじゃないだろう、と思う。
一緒に行った人は、親子丼(カマ定食)だったが、これもどちらかというとそぼろ丼。
http://d.hatena.ne.jp/MARUHOPPE/20090522/1242970949
このあたりの違いに、三島は怒りブチ切れて切腹してしまったのだろうか、とも思った。
いや、おいしいんだけどね。
から揚げは注文しなかった。ひょっとしたら肉団子のから揚げかもしれない。
インフルエンザ騒ぎである。
豚インフルエンザが、それなりに日本でも感染者が出ている。
水際作戦も、効果はあまりなかったかもしれない。それに、メディアも政府も大騒ぎしすぎだという意見もある。マスクを無駄にたくさんしているということも言われている。まあ、それは正しいかもしれない。
暑く湿気が高い時期に、それほどインフルエンザが猛威をふるうとも思えないし。ほとんどは軽症で死者も国内では出ていない。
でも、こうした騒動は、あらためて考えてみると、日本社会にとっては、決して悪いことではなかったかと思う。
そもそも、日本の社会は、すぐに騒いで乗せられるという社会である。それは昔から変わっていないし、これからもそう簡単には変わらないと思う。
そうであれば、弱毒性のインフルエンザに対して、これだけ騒いでみたというのは、強毒性のインフルエンザの感染者が出たときの予行演習になっているのではないか、と思うのだ。騒いでも止められないし、手洗いはきちんとしなきゃいけない、そういったことが、今回のことで理解してもらえれば、いいのではないか。
何をすれば効果的で、何はあまり意味がないのか。医療機関はどう対応すればいいのか。今後の反省も含め、悪い経験ではなかったと思う。
冬に向けては、ワクチンを接種する体制も整っているだろう。
この程度で騒いでおいて良かった、そう思うのである。通常のインフルエンザが冬期に流行ることのほうがよほど脅威だけれど、それを甘く見ていたのだから。
永井均の「マンガは哲学する」(岩波現代文庫)を読んだ。おもしろかった、というか、折に触れて高校生のころから考えていたようなことが思考されている。「私とは何か」という。クローンは私か、タイムトラベルで過去や未来に行ったときに会う自分は私なのか。記憶がつながっていれば私なのか。
ぼくはマンガよりも、たとえばルーディ・ラッカーの「ソフトウェア」なんかで感じた疑問だったりもする。