三番瀬で潮干狩り+小沢の辞任

tenshinokuma2009-05-12

 先週の土曜日は、関組長のツアーで三番瀬で潮干狩り。
 いつのまにか、海浜公園として整備されていて、潮干狩りができるようになっている。十数年前はこんなんじゃなかったのにな。
 でも、こうした形でも、三番瀬が残っているのは、今のところ、いいことだと思う。
 我々は、お金を払わなくてもいい場所でアサリを探したわけだが、予想通り、あまりみつからなかった。せいぜい、シオフキか。あと、オキアサリを少々。これはでかい。
 お金を払って、放牧してあるアサリをとるということもあったのだけれども、結局はしなかった。
 お金を払わなくて、簡単にたくさんとるのであれば、防波堤にはりついているカキがいいのではないか、とあとから思った。息子が拾ったカキもアサリやシオフキ、オキアサリと一緒に酒蒸しにしたけれど、これがけっこうおいしく食べられたのだから。もっととってくればよかったと後悔した。というか、他の人たちもとって帰ればよかったのにな、と。
 あとは小さなイワガニかな。つかまえなかったけど、掌の二倍くらいのアカエイの子どもも見たし、ぼくと息子的にはけっこう満足した。娘は渋滞するバスに酔ってしまったので、あまり楽しめなかったかもしれない。

 というわけで、辞任した小沢だが、まあ、このタイミングしかなかったかな、と思う。
 ぼくは、いずれは小沢は辞任すると思っていたし、そうすべきだとも思っていた。すでに書いたことだけれども。小沢の問題は献金などではなく、健康と政治思想の欠落だったし、この2つがなくても、人を引っ張ることはできるけれど、政治家として何かを実現することはできない。
 小沢としては、「戦った上で」「惜しまれながら辞任する」という形にしたかったのだろう。ただ、惜しまれながらという点は、小沢にとっては予想以上に低かったかもしれない。
 小沢は本質的に、裏方にまわる政治家なので、影響力を残した形にしたいというのもあるのだろうが、誰が党首なら影響力を行使できるのか、そのことも固めておく時間が必要だったのだろう。それがなしとげられたかどうか、わからない。
 政治思想の欠落というのは、かなり致命的なものだったと思う。民主党がどういう社会をつくっていくのか、今もって見えないからだ。その結果として、雰囲気でしか人の心は動かない。「安全と安心の政治」というのはまちがっていないと思う。では、そのことばをどうやって埋めていくのか。あるいは、誰が埋めていくのか。
 ぼくとしては、菅直人に総理大臣をやらせてみたいと思う。岡田でもいいけど、前原じゃダメだろう。