ぼくにとって、赤塚不二夫という漫画家は、特別な位置を占めています。
ぼくの幼児期において、決定的な影響を与えてしまったということです。
4歳ぐらいのころ、ぼくは父親の実家に住んでいたわけですが、そこでは毎週のように、叔父さんが少年マガジンを買ってくるわけです。幼児のぼくは、それを読んで育ちました。「天才バカボン」をはじめ、「パットマンX」や「キッカイ君」など。あるいは「ハリスの旋風」や「ワタリ」「無用の介」かもしれません。でも、その中でも「天才バカボン」は特別でした。そのナンセンスさは、問答無用に伝わってくるものでした。
これは以前も書きましたが、子どものころ、ぼくは将来はバカボンのパパになりたいと思っていました。それが理想だったんです。何をしても許される、死なない存在。
けれども、もう一つ重要なことは、当時の政治的な背景もまた、「天才バカボン」とともに刷りこまれてしまったということです。70年安保闘争というのが、思想的にどうであれ、アナーキーなマンガの主人公にとって、ふさわしいものだったと思います。
たとえば、バカボンのパパは時計を銭湯の煙突にしばりつけて立てこもります。
結局のところ、ぼくの中には、こうしたマンガの持つ本質的なアナーキーさが、三つ子の魂よろしく、今でも残っているということです。
泉麻人の「シェーの時代」を読んで、泉とぼくとの距離を感じてしまいました。東京の東側と西側の違いとでもいうのでしょうか。ぼくにとっては、やはり「おそ松くん」ではないのです。そんなに上品なマンガではないということです。
小学生の頃は、「レッツラ・ゴン」を毎週読んでいました。「どこかトーフへ行きたいな」というセリフがとても好きです。
その頃、赤塚はもう、遠くに行く状態だったのかもしれません。
その遠くというのは、「ウンコールワット」だったのではないか、とも思います。
すでに遠くに行ってしまった赤塚不二夫という存在は、本当ならもうマンガを描かなくてもいいから、なおアナーキーさを必要とする世界を見ていて欲しかったとも思うのです。
けれども、6年前に眠りにつき、そしてそれは永遠の眠りに変わってしまいました。生き急いだわりには、長生きだったような気がします。
本人が眠っている間に、妻と前妻が先に亡くなっています。赤塚不二夫は何て罪な男なのだろうと思います。ちょっと、どうなの、と思ってしまいます。
ぼくはこれからも、バカボンのパパのことが刷り込まれたまま、生きていくことになります。