香取神社

tenshinokuma2008-06-18

この間の日曜日は、夏越の茅くぐりということで、今年前半の行いを清めてきました。
ついでに、子ども会関連で、灯篭流しを手伝ったわけですが、まあ、それはいるだけで何もすることがないという、とてもすばらしいものでした。
子どもたちをつきあわせてしまったわけですが。
灯篭は先週、子ども会で作っていたわけですが、うちは潮干狩りに行っていたので、作っていません。
でもまあ、しょうがないですね。

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宮崎勤死刑囚の死刑が執行されました。
このことについては、いろいろと思うことがあります。
というのは、以下の通り。
うかつだったのは、陸田死刑囚のこと。彼は池田晶子との共著があります。
そうした思想もまた、政府の手によって、永久に失われてしまいました。

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17日、宮崎勤氏の死刑が執行が発表されました。
とりわけ、ある部分では身近なものを感じていただけに、ショックではあります。

宮崎氏の罪がそれなりに重いものだということは認めますし、死刑に反対する立場から、それに値するとは言いませんが、相応の刑は求められるものだとは思います。

ですが、多くの報道を通じて、宮崎氏が個性を持って生きている人間だということも、あまりにもよく知ってしまいました。
例えば、コミケに参加して同人誌を売り、それが5冊も売れたということを、とても喜んでいた人でもあるのです。
彼なりに、心の闇を抱え、ネズミの話を語る、そういう人だったと思うのです。
彼がどこまで自分がやってしまったことに向き合ったのか、わかりません。
また、彼が自分の人生をどのようにとらえていたのかもわかりません。
けれども、まだまだ彼は語る必要があったと思います。
それは、多くの尊い犠牲に対して、彼が支払うべき対価の一つだったと思うのです。
そして、そのことがなされなければ、多くの人の悲しみにどれほどの意味を見出せるのか、と思います。

遺族の方は、これが一つの区切りと思うかもしれません。宮崎氏が生きているということが、耐えられなかったかもしれません。
けれども、と、思うのです。
ある部分では、とても人間的な面を持っていた人間が、人の手によって死んだということが、とてもつらいと思うのです。

人は記号ではないのです。それがどんな罪人であれ、何かを感じ、何かを考えている、感情を持った存在なんです。
そして、メディアを通じてその一部が、姿をともなった写真とともに公開されてきました。

もし生きていれば、なお、命乞いをしたでしょう。生涯、罪と向き合うことはなかったかもしれません。
そうであっても、すでに生きてしまったことは、取り消すことはできませんし、そのことがぼくたちに与えた影響はとても大きいと思うのです。
そしてそれが永久に失われてしまったということが、ショックです。

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大塚英志は、秋葉原通り魔事件の直後ということが、恣意的ではないかどうか、そのことをチェックしていました(朝日新聞)。
これは重要な指摘だと思います。
というのも、秋葉原の事件においては、その事件の残虐さと同時に、容疑者の置かれた社会における格差というものがクローズアップされています。
多くの若者に絶望をもたらす社会というものが、大きな原因の一つだとしたら、それは取り除かれなければ、安心できる社会にならない、ということであれば、その批判の矛先は政府に向けられます。
だとしたら、その矛先をかわすタイミング、ということは十分に考えられるからです。

もしそうだとしたら、宮崎死刑囚の死はその死以上に多くのものが失われたことになります。

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このほかにも、2人の死刑が執行されています。
一人は70代でした。もはや、釈放されたとして、再犯は考えられない年齢です。その死刑に何か意味があったでしょうか?
もう一人は30代でした。服役期間は短かったと思います。
彼らについては、よく知りません。
矛盾するようですが、その死が記号的であるということに、人間の残酷さ、自分自身を含めたそれを感じます。