こちら葛飾区水元公園前通信713

 参議院議員選挙で退廃したけれど、安倍は退陣せず。支持していない政党のことだからどうでもいいや。

 ということで、夏休みはいかがおすごしでしょうか。こちらは適当にすごしています。深夜の公園散歩、セミの羽化などを見ました。

 実相寺昭雄総監督の「シルバー假面」全三巻を見ました。でも、面白かったかっていうと、それはまあ。
 時代は大正9年、主人公のシルバー假面は、森鴎外がドイツ留学中にドイツ人女性とのあいだにできた娘。世界を破滅させるほどの力をめぐる、カリガリ博士との闘い。デビュー前の江戸川乱歩平井太郎)なども登場し、浅草を中心とした舞台で戦う。蜘蛛男に蝙蝠男、金色のマリア。
 けっこう、いろいろな素材を入れて、そこまではよく考えたとは思う。けれども、実相寺の晩年の映像って、暴走すると、どんなストーリーなのかよくわからないまま、いかにも、という映像がつながっていく。とりわけ、第一巻は実相寺自身が監督をしていて、ちょっとこれは、という。浅草で、あやしい奇術ですね、という。第二巻は母親とのかかわりがメインで、第三巻でとりあえず決着、という。
 もっとも、昔の「シルバー仮面」って、一回しか見たことがなかったけれど、やっぱりなんか良くわからないっていう印象しか残ってないので、まあ、いいか、というところかもしれない。

 今月は、ずっとジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの「輝くもの天より墜ち」(早川文庫)を読んでいた。
 ストーリーはというと、ダミエム星という星に、めずらしく観光客がやってきて、事件が起きるというもの。ノヴァの破片が落ちてきて、とてもきれいなオーロラがたくさん見られるから、というわけなんだけれども、このダミエム星の原住民は、「星々の涙」というお酒の原料で、そのために人間によって虐殺された過去がある。そして、そのお酒をめぐる争いがあって、事件に発展する、という。
 ミステリーといえばそうなんだけれども、正直なところ、魅力的なストーリーとは思えない。それともう一つ、ティプトリーはしばしば、異星人の生殖を描くけれども、これもまたかつて短編で何度も書いて来たものである。
 じゃあ、心臓のバイパス手術を受けたあと、なぜまだ書くものがある、といってこの作品を書き、さらに「たったひとつの冴えたやりかた」を書いたのか、というのが、ぼくの興味ということになる。
 訳者の浅倉久志は本書の解説で最後に、ティプトリーが老いについて書いていることに言及している。たぶん、ティプトリーの感覚としては、「生物として死んでいくこと」ではなかったのか、と思う。「老い」というのはその過程だし、だからこそ、死に行く種族もまたこの作品に登場する。そして、その種族にからんで、ラストは老いて死んでいく場面。
 ティプトリーは後に、ぼけてしまった夫を射殺し、自殺する。しばしばル=グインと比較されるティプトリーだけれども、ル=グインの場合、「帰還」などを読むと、老いを肯定的に受け入れようとしているのではないか、と思う。けれども、ティプトリーは老いていくという生物学的に残酷な現実が受け入れられなかったのではないか、と思っていた。でも、少し考え方を変えたい。受け入れられなかったのではなく、受け入れた結果の自殺だったのではないか、と。それは、「老い」を生きるのではなく、「老い」て死ぬという決着ではなかったのか。
 だが、死は生物全体にとって、決して悲嘆すべきことではなく、その一方で新しい命が生まれてくる、若い世代が育つ、新しい生物種にとってかわる、そういうことではないのか。そうであれば、死ぬことで生物として生きていく、そういう選択もあるのではないか。
「愛はさだめ、さだめは死」を書いた作家としては、当然すぎる帰結だったのかもしれない。
 「輝くもの」というのも、考えてみればノヴァ、すなわち一生を終えた星の残骸である。
 とは思うのだけれども、実は、ティプトリーというのは、ぼくにとってかなり特殊な作家である、ということも書いておく。というのも、ぼくはティプトリーの小説をすっかり楽しんだことってないからだ。小説の中にうまく入っていけないのだ。そのことは、今回の長編を読んでいても、ずっとそうだったし、だから読むのにすごく時間がかかってしまった。ティプトリーがどうしてこういうテーマで作品を書くのか、ということはすごくよくわかる。だから昔から、新刊が出るたびに読んできたし、ぼく自身が言及もしてきた。「老いたる霊長類の星への賛歌」はもっとも好きな作品だけれども、それでも同じことなのだ。

 小池防衛相と事務次官がもめているらしい。というか、小池総理大臣でもしないと、自民党は総選挙で勝てない、などという話が出ている。
 やめてくれって思う。小池とは一度話したことがあるけれども、これほど他人への想像力が欠如した政治家というのはめずらしいと思った。具体的には、記者クラブの忘年会に顔を出してくれたときのこと。まあ、そういう馴れ合いみたいな場もどうか、とは思う。だから来ないという選択肢があってもいいとも思う。小池の場合、顔を出したけれど、ほんとうにつまんなそうにしており、次の気候変動枠組条約の出席についても、ヨーロッパが会場だったら、買い物ができていいのにな、というような反応。それはないだろうっていう気がした。環境大臣として、どうなの?っていう人はもっといたけれども、最低限の政治家しての愛想と話せる限りのテーマの言及はあったと思う。
 別に、だからだめっていうわけじゃない。そうではなく、小池については、こうしたエピソードがしばしば語られるし、だから政界渡り鳥にもなれる。その一端を見ているということだ。

 ということで、今日は仕事は休みにしたのであった。