泗翠庵

tenshinokuma2007-07-18

 今日は日帰りで四日市市に行ってきた。初めてだったので、早めに行って、少しぶらぶらしてみた。
 最初に、市立博物館。丹羽文雄記念館というのが中にあって、すごく不思議な気がした。というか、丹羽という作家の個性を考えると、文豪だなあ、という単純なものではないと思う。
 丹羽は、いい意味で大衆的な作家だったというか、今で言えば、渡部淳一のポジションに近いかもしれない。といっても、渡部の小説って、実は読んだことがないのだけれども、けっこう映画化とかされているし、愛人物みたいな作品なんかをせっせと書いたりもしていたし。
 そうであっても、本質的には、人間の情欲みたいなものを、分解してやさしく包むというような感触があって、「魂の試される時」って、父親の愛人を好きになってしまった青年の話で、それをどのようにして決着させるのか、というものだったりする。何だか、エディプスコンプレックスみたいな話だけれども、実は丹羽自身が、子どもの立場で、そして後に親の立場でこの状況を経験することになる。
 応接室が再現されていて、ここでゆっくりしたかったのだけれども、できなかった。ガイドに連れられた女子学生の一団がいたので。ちょっと残念。

 そこから、鵜の森公園まで行く。ここは元々城跡で、それが神社になっていたりする。10年ちょっと前にできた茶室があって、それが泗翠庵。400円でお茶をたててくれる。
 立席ということで、茶室ではなく椅子席で出してくれるのだけれど、多分、茶室も奥にあるはず。
 夏らしく、くずで梅餡をくるんだ和菓子を出してくれた。茶碗はすり鉢型の底の浅いもの。夏はさめてもいいようにこうした茶碗でお茶を立てるとか。床の間にある掛け軸や生け花、香炉の解説なんかもしてもらって、なんだか落ち着いてしまった。

 そこから、諏訪公園(ここにも神社がある)をまわっていったのであった。何より、古い建物を利用した児童館が、すごく趣きがあっていいです。

 それにしても、四日市市は、というか近鉄四日市駅周辺というのは、人の匂いのしないところだなあって思う。建物はかなり立派なものがあって、百貨店もちょっとしたホテルもあるのだけれど、人がいないという感じがする。スーパーの品揃えはちょっとグレードが高めになっていて、そんなに落ち込んだ町という感じではないのだけれども。というか、工業都市に隣接した商業地としてそこそこやっているのだろうけれども。児童館にも子どもはいたのだけれども。
 けれども、だからといって、活気があるというわけでもない。
 そんな四日市なのだけれども、来月31日にも行くことになってしまった。

 宮本顕治死去。時代が終わったというだけではなく、むしろこのことをきっかけに、過去が別の側面を持って出てくるかもしれない、とも思う。別に、ダークな部分ということではない。とはいえ、過去に野坂が除名されたということが過去にあったことを考えると、どうなんだろうって思う。
 それにしても、まだ生きていたんだっていう感じですけど。

 最近亡くなった中で、思いいれが深いのは、セネガルの作家で映画監督のセンベーヌ・ウスマン。「消えた郵便為替」っていう中篇しか読んだことないけど、とても印象深い作品だったので。
 新聞では、ウスマン・センベーヌという表記だったと思う。けれど、セネガルでは日本と同じで姓が先にくる。