こちら葛飾区水元公園前通信699

 教育再生会議、「親学」の提言は先送りだとか。「母乳で育てよう」とか「早寝早起き」と言われてもなあって思っていたのだけれど、さすがに伊吹文部科学大臣すら、これはどうか、などと国会で答弁。
 理由は個人の価値観に踏みこみすぎていることと、政策的な裏付けがないこと。
 でも、そもそもの不幸は、教育再生会議が、居酒屋談義レベルでしかないということにある。そんなレベルでしか、この国の教育は考えられていない。

 とはいえ、これは現在の内閣や安倍や山谷えり子だけのせいではない。
 自民党内部で河野太郎ら若手・中堅議員が、「教育再生研究会」といったような会をつくり、先日「教育再生会議への7つの疑問」などを発表した。また、これにあわせて、河野はメールマガジンでめずらしくいいことを言っていたのだけれど、簡単に言えば、この国で、「教育が悪い」とか「政治が悪い」って言う人はいるけれども、政治はともかく、教育について、データをきちんと出して論議する人がどれだけいるのか、ということだった。
 これは以前も書いたことだけれど、「教育」について、現場という視点を持ってどれほど語れるのか。そうではなく、多くは「現場」とは関係ないところにいるからこそ、無責任に「教育が悪い」と言えるのではないか。そして、そのことが、無責任でかまわない居酒屋での談義ならともかく、同じレベルで政府で話されているとしたらどうだろう。
 けれども、むしろ多くの人が教育をめぐって居酒屋談義をしているような意識がこうした結果を生んでいるのではないか、とも思う。

 そもそも、教育を再生させるとして、では何が問題なのか、ということすら、明らかになっていないのではないだろうか。それは学力の問題なのか、生活態度の問題なのか、何が欠けているのか、数値として表した場合、どうなるのか。
 何より、この論議の中にどれほど現場の人が参加しているのだろうか。

 斎藤美奈子の「趣味は読書。」(ちくま新書)は、斎藤に言わせると編集者必読だとか。ぼくもそう思う。ベストセラーをせっせと読んで、なぜ売れているのか、そのしくみを分析する。中学生を対象にしたレベルでちょうどいいこと(「ザ・ゴール」など)、ありがたい老人の人生訓というだけで売れてしまうこと(「大河の一滴」「生き方上手」など)、昔からあるものもちょっとつくりを変えただけで売れる(「永遠の仔」「買ってはいけない」など)といったような、ベストセラーの単純さが示される。
 そうかあ、ベストセラーの中味ってしょうもないなあ、などと思ってしまい、それはそれで便利なのである。
 ぼくなんか、善良な読者なので、この本についても、素直に「そうだよなあ」なんて思いながら楽しんでしまった。いや、ベストセラーも一部は読んでいるけれど、よく考えればその単純さを、けっこう楽しんでいたのかもしれない、などと反省すらしてしまうのであった。だって、「ザ・ゴール」なんて、何が書いてあるのかを説明すると、1ページくらいで終わってしまう。オペレーションにはボトルネックがあるので、それを解消しないと生産性は向上しません、ってな感じ。けれど、「えんぴつで書く「奥の細道」」ではないけれど、そんなことを小説でくどくど説明されることで、なんかよくわかってくる、という。そんなもんなわけだし。
 で、ぼくなりの結論を言うと、ベストセラーって、そんなに大した内容ではないし、そもそも本なんてマイナーな市場なので、そんなに期待するようなものではない。けれども、売れるにはやはり理由があって、それは考えるに値する。とはいえ、その売れる理由がますますどうしようもない理由になってしまうのであれば、あまりにもあんまりではないか。
 とはいえ、ぼくも編集者なので、考えなきゃいけないことってたくさんあって、それなりに人に届くには、ゆるさも必要かな、とか、そんなことではある。良い本は売れないって言うけれども、あんまりそういうことは思ってなくって、市場の需要に応じた本を高い品質で供給できればいいんじゃないか、とは思っている。ベストセラーがあまりにもゆるすぎるので、作りたいとは思わない、というのは負け惜しみでもなんでもなく、自分が読みたい本をつくる、というコンセプトから、ゆるい本が外れているだけなんだけれども。
 とまあ、そんなことを思いながら、読んだのであった。
 かなり、笑いました。

 仕事がらみで、デニス・C・ターナー/マリアンヌ・ゲング編「老後を動物と生きる」(みすず書房)なんていう本も読んだのだけれど、これは「介護保険情報」の書評用。でもまあ、高齢者にとって、自分に生を依存してくれる動物がいるっていうのは、まあ、相互依存なのだけれど、そこには生きる手応えってあるのだろうから、それはいいことなんだろうなあって思った。同時に、クリアすべきこともいろいろあるから、この本のような実用書(みすず書房の立派なハードカバーの本なのだけれど、本当に中味は実用書)があるのだな、と思う。

 山家公雄の「エネルギーオセロゲーム」(エネルギーフォーラム)も仕事がらみ。エネルギー業界に関係ない人には縁がないだろうけれど、縁がある人にはけっこう役立つという、業界の本。電力・ガス業界は自由化と自家発電代行会社の進出でそれなりにビジネスのあり方が大きく変化してきた。電力会社がガスを売ったり、ガス会社が電気を売ったりという。実際に、中野サンプラザ東京電力からガスを買っているし、六本木ヒルズ東京ガスのグループが電気まで含めたエネルギーを供給している。電力会社も顧客の視点に立てば、ガスがいいときはガスコージェネレーションを提供するし、そのときは結果としてガス会社からガスを買ったりして、とったと思ったらとられたというのは、オセロゲームだよなっていうことなのだ。
 ぼくの興味は、デマンドサイドに立ったエネルギービジネスがどうなるのかということと、そのときどんな価値を提供するのか、それによってどのようなビジネスが可能なのか、ということ。自家発代行会社は実は原油高と電気料金値下げで瀕死の状態。それでもなお、電力とガスの闘いの間で、どんなポジションがとれるのだろうか、ということなんだけれども。

 これも仕事がらみで、マエキタミヤコの「エコシフト」(講談社現代新書)。環境保全活動にも質の高いコミュニケーションは必要だよなあって思う。さすが、コピーライターである。なのに、講談社現代新書のまんまの装丁で地味な色のカバーだと、人々に届かないよなあ、って思うのは余計なお世話だろうか。
 本当に、ホワイトバンドキャンペーンとか、そんな活動の裏舞台が語られていて、それはどんな発想に基づくものかわかるし、その中でいろいろな環境活動家やクリエイターが登場して、それはそれで面白かった。
 そういう意味では、一般の人というより、NGOの活動に参加している人にとってこそ、必要な本なのではないか、とも思うのであった。

 仕事がらみじゃなしに、徳弘正也の「バンパイア」も近未来編に突入。背景こそ、「狂四郎2030」を思わせる、陰謀渦巻く政府といったところだけれども、主人公が善良すぎて勘違いをしているところのもどかしさを描いているっていうところが、ポイントかも。
 徳弘の中には正義は勝つ、というのはない。そうではなく、せめて自分くらいは守れよ、そのためには、きちんと世界を認識しろよ、というのがあると思う。

 あと、SBRも読んだ。

 ペットボトルのお茶の「伊右衛門」を買ったけど、おまけがてぬぐい。というより、ハンカチがわりにいいかも、と思い、ファミマで128円でハンカチかあ、と思うと、どうなんだろう、とも思うのであった。
 そのファミマ限定のサントリーのビール、とてもホップが効いていて、エビス・ザ・ホップよりも、なのであった。