こちら葛飾区水元公園前通信695.5

 この土日はわりとのんびりすごした。

 土曜日は、つくばで花見、という話もあったのだけれど、子供たちがプールに行きたいというので、そっち。午前中、息子と児童館でプラレールで遊んだりして、午後には温水プール。今年最初の水泳ということになる。
 何だかんだ言っても、娘も息子もそれなりに泳ぐようになっている。ビート板が必要だったり、息継ぎができなかったりしても。

 夜は「鋼の錬金術師」。ようやく、半分見終わる。それにしても、ローテクなんだかハイテクなんだかよくわからない設定だなあって思う。オートメールなんて、すごいハイテクじゃん。

 日曜日はまずは投票。ぼくは吉田万三と書いておくことにする。

 天気がいいので、子どもたちと公園で遊ぶ。娘は午後はかみさんとカラオケに行ってしまった。
 先週ほど、花見をしている人は多くなかった。けれども、少し葉が出てきたあたりは、それはそれで悪くなかったと思う。まだまだ、花は咲いているし、というか桜吹雪がとてもきれいというところ。そもそも、ヤマザクラが葉が出るのと花が咲くのが一緒だったことを考えると、昔の桜って、そんなもんじゃなかったのだろうか、とも思う。

 夕方は、息子と、家の前にある空き地のつくしを摘む。ほんとうに、ヤマのように生えている。前回と同じように、コンソメスープにする。近所の野菜販売所で買った小松菜も入れる。

 夜は「鋼の錬金術師」をまた見る。

 というわけなのだけれども、今回の都知事選は石原の三選ということ。まあ、しょうがねえなあって思う。
 思うのだけれど、近年の選挙って、争点があるようでない、というか意図的に本質的な争点が隠されているんじゃないかって思う。
 だれもオリンピックを望んでいなくても、新銀行東京を何とかした方がいいと思っても、それは生活に直接反映するというイメージは小さい。どうだっていいこと、なのではないのか。都政の私物化も腹は立つけれど、だからどうなのって。
 安心して老いることができる社会、安心して子どもを育てられる社会、本当はそういう視点から、語られるべきなのではないかと思う。でも、そのことを語る言葉を持たないまま、選挙戦が繰り広げられていく。都知事選で「福祉」が語られるようになったのは、後半ではなかったか。
 浅野の敗因は、東京を明確にどうしていくのか、見えなかったことなのではないか、と思う。そのことを語るためには、時間がかかるし、だからこそ、準備期間が必要なのだけれども。現職を甘く見ていたんじゃないか、ということだ。

 それにしても、実は石原がかつて最初に当選したとき、4年もたないんじゃないかって思っていた。失言で辞任するのではないか、と。失言は予想通り、繰り返された。けれども、そのどれもが辞任に至っていない。それでいいのかよ、と思ってしまう。
 いいわけがない。