こちら葛飾区水元公園前通信689

 今度、肩書きがひとつ増えました。「出版プロデューサー」というものです。
 就職したわけではないので、フリーランスではありますが、ある出版社でこういうこともする、ということになったわけです。企画を発掘したり進行させたり、まあ、よく考えると、雑用みたいなものかもしれないですけれども、校正が苦手なぼくとしては、まあ、いいかもしれません。
 とりあえず、環境関係の本のプロデュースをしますが、こっそり、SF関係も考えていたりします。もし、何か企画がある人、いつでもどうぞ。売れそうもない本でも大丈夫です。そのときは、オンブックでつくりましょう。
 フリーライターも並行してやっていきます。「お酒と環境」の連載は続くことになったし。と、まあ、そんな状況で、ぼちぼちやっています。
 それに、お酒に関するプロジェクトもまだ途中だし。これもやらなきゃいけないんだけれども…。

 ミンツバーグの経営論を読むと、マネジメントには二つのタイプがあることがわかる。ヒーロー型の目立つタイプと、むしろ目立たないタイプ。そして、目立たないマネジメントって、あまり注目されなかったっていう。
 ふと思い出したのだけれど、これ、バンドのメンバーと担当楽器というように捉えると、ちょうどいいのかもしれない。
 ヒーロー型っていうと、ギターかボーカルということになる。まあ、目立つといえばそうなんだけれども、これがリーダーシップを発揮するのって、サザンオール
スターズというイメージかな(すいません、最近のバンド、知らないんです)。そういうバンドはいくらでも思いつく。でも、どんなバンドもヒーローが引っ張っているわけじゃなくって、リズムセクションのベースやドラムだと、調整型のリーダーシップっていうことになる。
 これは、バンドをやった人ならわかるけれど、ぼくもベースを弾いていて、何を考えるかっていうと、周囲の音を聞きながら、ギターやボーカルをいかに引き立たせるのか、全体のアンサンブルの中で、何をやり、何を「しないか」ということ。そう考えると、イエスでクリス・スクワイアが人事関係を担当していたというような話はけっこうよくわかる。というか、ハナ肇がドラマーであり、いかりや長介がベーシストだったというのも、そういえばそうか、という。いや、YMOの中での細野晴臣というのもあるのだけれども。
 キーボード・プレイヤーは、どうなんでしょうね?

 そうそう、先週の日曜日、風邪の熱の中で「ファンタスティック4」のビデオを見たのだけれど、なかなかおバカで面白かったです。
 子どもの頃、アニメでやっていて、よく見ていたわけですが。映画は宇宙線を浴びて、特殊能力を持つところからはじまる。ゴム人間になったり、透明になる能力や火を操る能力、そして岩石の身体と怪力という。岩石人間のベンだけが、人間離れした姿なので、ちょっとかわいそうだなとは思っていかけれど、そういう苦悩も描かれているし、透明人間になるっていうことは、着ているものまでは透明にならないわけで、そのあたりのちょっとエッチな感じを、ジェシカ・ラングがうまく出していたし。ゴム人間がリーダーっていうのは、「ワンピース」と同じと言われればそうなんだけれども、ゴム度はルフィー以上です。だって、ゴムホースにまでなっちゃうんだから。あの、びよよーんとした感触が、みごとに映像化されていて、悪くないです。
 「X−men」ほどヒットしなかったのは、それがアメリカが抱える社会的問題の内面に気持ちとしてはまりこんでいかなかったからじゃないでしょうか。ミュータントと人類の共生というのは、いかにもアメリカです。でも「ファンタスティック4」では、悪はただ女性にふられた恨み(いや、会社を破産させられたっていうのもあるんですけど)だったりするし、ヒーローともども、けっこうプライベートなモチベーションだけで動いてしまう。
 でも、だからこそ単純に楽しめたっていうのもあるんですけどね。
 次は、「スーパー3」の実写版が見たいって書いたよね。バラバラのマイクやボヨヨンのコイルの造型は、これまたインパクトあると思います。スイスイのフリーがいつもピンチに陥るわけで、その情けなさも、うまく出せるといいなあっていう。そして、この3人、いつもはロックバンドだっていう設定が、なかなかかっこいいんじゃないかっていう。事件が起きると、ステージから飛び出していくという。
 まあ、ファンタジーブームの中で「大魔王シャザーン」とか「冒険少年シンドバット」はあるかも。「怪獣王ターガン」のヒューヒューとボーボーも実写で見たいですけどね。

 「100万本の海の森」(北星堂書店)を見ていてびっくりしたのは、そこに知った顔があったから。サウジから帰ってきて、何をしているのかと思えば、タイでマングローブ植林ボランティアをしていたのかっていう。
 まあ、マングローブの問題は、今更書くまでもなく、村井吉敬の「エビと日本人」(岩波新書)に書かれているとおりだと思うのだけれども、それを回復すべく、10年以上も運動があったということは、記録されていてもいいことです。
 それと、2004年の津波は、マングローブの重要性をあらためて見直すきっかけにもなったとか。

 森奈津子の「踊るギムナジウム」(徳間書店)は、何が悲しくてゲイコメディなんぞを読あなきゃいけないんだ、などと思いながら、笑わせてもらいました。エロなしですけど、ゲイものでエロがあっても、別にうれしくはないし、いいんです。歌って踊る男子寮というおバカな設定が、まあ、それなりに楽しい、けど見たくないよな、というものですから。

 巽孝之荻野アンナ編「人造美女は可能か?」(慶応義塾大学出版会)は、話題が球体関節人形だったりすると、トーキングヘッズとだぶって見えてしまって。恋月姫の表紙だし。それにしても、シンポジウムをもとにした本なのだけれども、ポオからマラルメからルーセルからコールダー、「SAYURI」に「エヴァンゲリオン」に「攻殻機動隊」まで続くリストには、めまいを感じる人もいるかも。おまけに、荻野はメイド姿だし(荻野アンナのこういう軽いところって、すごく好きです)。でもまあ、それって、やっぱりトーキングヘッズとかぶってますよね。
 こういうものを出してしまう大学出版会というのが、いちばんすごいかもしれない。

 末吉竹二郎の「日本新生」(北星堂書店)は、日本には環境を考えた金融ないてないじゃないか、世界から遅れているのではないか、というような本。たぶん、その通りだと思うのです。
 アメリカですら、社会的責任投資(SRI)の残高が200兆円くらいあって、これは日本の1000倍以上なんじゃないか。エコファンドはかつてのヒット商品になったけれど、小さなものだったし、最近でこそ、SRI型の投資信託なんていうのも登場したけれども、やたらと手数料が高いので批判されているし。ついでに、市民ファンドが集めたお金は累計で約20億円規模。apBANKの最初の資金が1億円で、他のNPOバンクの資金力はこれ以下ということも、参考までに。とまあ、そういうのが日本の状況。
 サブタイトルは「21世紀の切り札はCSR(企業の社会的責任)」というのは、その通りなのだけれども、ではそのCSRが認知されるにはどうするべきなのか、その回路がうまくできていないんじゃないか、というような危機意識を個人的には持っています。
 じゃあどうするんだって言われれば、何かしましょう、と言うことにします。

 今週は、風邪をひいて熱を出して、さんざんでした。熱が下がったかなって思った水曜日、今まで以上に具合を悪くし、39度近い熱(多分、越えていたと思う)で、しまいには医者に見てもらった。こうなると、肺炎が怖いので、抗生物質が必要になるのだけれども、その注射をされたのであった。しかも、お尻である。子どもじゃないんだからぁ、なんていうつっこみ力もないのであった。
 どうにか翌日には熱が下がり、狛江だの茗荷谷だのに足を運んだわけですが。そのかわり、服用している抗生物質のおかげで、下痢しました。
 まだ、本調子じゃないです。ちょっとしんどいです。