こちら葛飾区水元公園前通信684

 ホワイトカラー・エグゼンプションは、とりあえず見送りになったとのこと。
 参議院選挙があるので、無理をしないというのは、姑息というか。でもまあ、おばかな制度がとりあえずは導入されなくて良かった。
 最後は、年収400万円ではなく、900万円に引き上げて、これなら対象者が少ないからいいでしょう、という話まで出て。でも、対象者が少ない制度を導入してどういう意味があるのだろうかってね。
 いや、ぼくには直接はあまり関係ないっていうことは、まあさておいて。
 個人的なことを言うと、確かに、これまで勤めてきた多くの会社では、それなりの地位と交換で残業代がつかなかった。そのことが正当だとは思ってはいない。だからといって、それを法律が後追いしてどうする、とも思う。
 現実に合わせて制度を変えてしまうのであれば、現実を改善しようという意思がはたらかない。
 残業代が支払われない会社員って、けっこう多いだろう。裁量労働性だったとしても、実は残業代はつくというのが、タテマエとしての現在の制度。
 ホワイトカラー・エグゼンプションというのは、それなりの地位の人は、時間で働くということから除外しましょう、というものなのだけれども、いくら地位があったとしても、決定権を持たないのが、日本のサラリーマンだとすれば、裁量労働制とか言ったところで、その裁量の権限がないのだから意味がない。
 上司の「これ、やっといてね」ですんでしまうような職場で、裁量もなにもないだろう、ということだ。
 確かに、成果主義という意見は、間違っていない。けれども、現実には、他に客観的な基準がないし、成果主義で評価できるシステムはほとんどの職場にないのではないか。さらに言えば、あまり得意ではない分野に配属されてしまったら、それこそ不幸というものだ。結局のところ、労働者は時間を売るということでいいのだと思う。成果主義ということで言えば、会社そのものが成果をあげていくことで、社員が評価されればいいのではないか、とも思う。
 生産性を客観的に判断しようとしても、それは管理する側、決定権がある側のマネジメントによるものなのだから。
 さらに、管理職はもともと残業代がつかないのだから、関係ないかというと、そういうことはなく、部下が残業代込みで給料をもらっていれば、だいたいは同じ程度以上の収入にはなるような設定になっている。部下に残業代がつかなければ、上司の給与も下げやすくなる。
 何より、本質的には、サービス産業をなくそう、不当な働きすぎをなくそう、というのが、労働行政の正しいありかたではないのか。労働時間が減少し、余暇が増えていくというのも、人間の進歩として正しい方向だとも思っているし。

 そんなわけで、山口二郎の「政治改革」(岩波新書)を読んだ。93年の本だから、ずいぶん昔の本だ。佐川急便事件の後、まだ中選挙区制で、55年体制が制度疲労を起こしていた時期。今から見ると、なかなか感慨深いものがある。
 山口は政治において、いかに「民主主義を実現するか」というところに軸足を置いている。その視点で、当時の腐敗した政治体制を、どのように改革するかが語られていくわけだ。
 さまざまな提案が語られている。選挙はたとえば、比例代表制を推している。これにより、多様な政党からの候補者が選ばれ、緊張感のある連立内閣をつくっていくという。当然、どの政党も過半数を獲得できなければ、同じようにチャンスがあり、政策立案能力も必要になってくるというわけだ。
 結局採り入れられたのは、比例代表制を併用した小選挙区制。結果として起きたことは、山口の予想からさほど遠くない。

 松村栄子をひさびさに読む。「Talking アスカ」(ピュアフル文庫)という作品が、ヤングアダルトとして出ていた。小学生から28歳までの女性を主人公にした短編集。周囲に違和感を感じている、そんな主人公たちのモノローグだったりする。こういう小説って、大切なんじゃないかって思う。

 それにしても、生きていてよかったって思うのが、ブライアン・W・オールディスの「ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド」(河出文庫)が出たこと。昔、NW−SFで原書を見せてもらったことがあったけれど、不気味な絵がすごく印象的。シャム双生児の話なのだけれど、何より第三の頭が不気味だった。
 で、なんだか「頭の中の裸足」のストーリーとごっちゃになっていたのだけれども。
 やっぱり、第三の頭がけっこうホラー。孤独になれない双子の悲劇というのを、本人たちの内面が描かれず、周囲の人間による報告だけでまとめられているという、そのこった構成がかえって、テーマをうまく強調している。大作ではないけれど、双子にロックバンドをやらせるあたり、オールディスも若いなあと、当時すでにかなりのおっさんだったはずなのに、感心してしまうのであった。

 あずまきよひこの「よつばと」の6巻が、けっこう前に出ていて、とっくに読んでいたのだけれども、ここに書いていなかったっけ。
 とうとう夏休みが終わってしまった。9月まで「よつばと」が続くとは思っていなかったけれども、それはそれで新しい展開というか。
 どこかのブログで、「よつばと」と保坂和志の「季節の記憶」の類似を指摘していた。言われてみればその通りだな。