こちら葛飾区水元公園前通信658

 先週、夏風邪というのかな、ずっと体調が悪かった。最初、悪寒がして、身体がちくちくして、熱もちょっとあった。関節も痛いし、なんか、不調でした。
 ようやく、今週前半に、治ったというところですけど。ちょっとしんどかったです。普通に生活してましたから。そうですね、お酒を飲まなかったことぐらいかな。

 というわけで、明日から鹿児島です。夏休みにかみさんの実家に行くっていうのは、ぼくとしては何年ぶりだろうっていうくらいです。たぶん、娘が1歳になる前の夏に行ったのが最後。あとは、義弟の結婚式のときに、ちょっとだけ行ったけど。
 でもまあ、鹿児島に行って、何するわけでもないっていうのが、いいですね。

 夏風邪のおかげで、身体をあたためたくって、仕事の帰りに銭湯に寄ったりもしました。
 一つは、亀有にある日立湯というところ。駅の北側、環七を越えたところにある、建物だけはクラシカルな大きめの銭湯です。番台を無理やりロビーに改造したりしてましたけど、ここで、下駄箱のカギと交換でロッカーのカギを受け取るシステムというのは、スーパー銭湯みたいですね。でもまあ、そのほうが安心といえばそうなのかも。
 中はけっこう清潔な感じ。お湯も熱くなく、ゆったりと入れる。薬湯は朝鮮人参などが入った「宝寿湯」というもので、なんか効果がありそう。これなら風邪も良くなるかも、っていうところだ。
 めずらしく、中庭の手入れもされていて、錦鯉も泳いでいる。中庭が放置された銭湯が多い中んですけど。
 亀有にはあと、第二日立湯というのがあるはずなんだけど、いずれそっちにも行ってみようと思うのでした。

 昨日は北千住にある梅の湯に寄りました。梅の湯というのは、北千住にもう1軒あるのだけれど、この日、寄ったのは、駅の東口のすぐ近くにあるほう。やっぱりクラシカルなたたずまいだけれど、こっちは番台方式。洗い場がゆったりとしていて、昔のまま。お湯は熱めなので、ちょっとつらいといったところでした。特に変わった浴槽があるわけでもなく、まあ、普通のお風呂屋さんといったところでしょうか。

 佐々木倫子の新刊「月館の殺人」(小学館)の上下が揃ったので、買って一気に読んだ。今回、原作は綾辻公人ということで、当然ミステリーなんだけれど。でも、ちょっと、というところでした。
 主人公がD51が引っ張る夜行特急「幻野」に招待され、鉄道マニア(通称テツ)の人たちと乗車するわけだけれど、そこで事件が起きる。その真相はっていう。おそらく、犯人の動機は、数年前に野外で写真撮影をしようとしたテツたちに押し倒され、事故死した男性の子供なのだろう、ということなのだが、それが誰なのかという。
 そして、最近、テツ殺しの連続殺人が続いている、ということなのだけれども。
 とまあ、そういう話なんだけれど、まず面白かったのは、佐々木が描くテツの姿。時刻表マニアとかNゲージマニアとかがいて、なのにみんな自分はテツじゃないって言い張ったりする。このあたりは、佐々木の本領発揮なんだと思う。主人公のちょっと外した感覚もいつも通り。
 なのに、事件の結末はというと、ちょっとそれは強引じゃないのか、というか、主人公がいきなり推理しちゃって、そういうキャラだったのかよ、っていう展開になっていて、そういう意味では、ミステリーとしてどうなのよ、というのはあるんですけどね。きっと、もっとテツの一人一人を書きこんで、長い旅にしたら、もっと楽しめたかもしれないけれども、そういう不満は残りつつも、でもそんなこと、事件に関係ないから、事件の真相を知りたいっていう読者を引っ張れないかもしれないなあ、などとも思うのでした。
 上から下にいたる段階で、特急列車の意外な真実を知ったりもするのだけれど、このときに、D51が客車を引っ張ることがおかしいなあって気付くべきだった、とも思ったりしたのでした。

 鈴木忠の「クマムシ?! ちいさな怪物」(岩波書店)も読んだ。岩波科学ライブラリーの1冊。クマムシというのは、コケや地中、海などに住んでいる、小さな動物。といっても、緩歩動物門という、独自の門を構成しているグループ。門というのは、節足動物門とか脊索動物門とか軟体動物門とか腔腸動物門という、そういう大きなまとまりなんだけれど、クマムシだけでその門を形成してしまうというわけ。脊索動物門にはヒトなどの哺乳類だけではなく、魚類やヤツメウナギのような円口類、そしてホヤまで入っているわけだから、おおきなまとまりだっていうことはわかると思う。
 クマムシは伝説があって、乾くと100年でも生きるとか、乾いた状態では強力な放射線にも耐えるとか、とにかくスーパーな生命力があるっていうもの。そのわりには、動きがゆっくりしていて、姿は8本脚のクマといったところ。なかなかかわいいというところも、伝説の一つになっている。
 本書はそのクマムシの飼育を通じライフサイクルを明らかにし、伝説を検証するという、なかなか素敵な小冊子なわけです。
 たぶん、そもそもクマムシに関する本そのものがほとんどないので、それだけでも興味深いんです。
 それにしても、クマムシがコケなんかの隙間にいるっていうのは知っていたけれど、海にもいるなんて知らなかった。それに、クマムシって見てみたかったけれど、大学の土壌生物の実習では見ることができず、ちょっと悲しい思いをしていたしなあ。だから、クマムシの写真すら、たぶん、見るのがはじめてかもっていうのはあるな。
 本にはアンケートはがきがついていて、抽選で5名にクマムシのぬいぐるみが当たるとか。岩波書店にしては、めずらしいよな。でも、クマムシのぬいぐるみだったら、欲しいかも。

 生き物ついでに、石井象二郎の「ゴキブリの話」(北隆館)という古い本も読んだ。何といっても国鉄が出てくるくらい古い本。とはいえ、クマムシとちがって、ゴキブリはそこらじゅうにいるので、研究もよくされていて、古い本であってもけっこうおもしろいんだけど。
 ゴキブリは生命力が強いので、実験材料に適しているとか、そんな話も載っている。2匹のゴキブリの背中を切って貼りつけ、一方の脚をすべて取り去ることで、ホルモンの影響を調べる実験をしたりとか、なかなかすごいこともできてしまう。
 まあ、古いことといえば、ゴキブリが直翅目に含まれているということかも。当時、ゴキブリはバッタの親戚だった。今はゴキブリ目という独立した目になっているし、バッタよりもシロアリとの類縁が深いとも言われている。

 最近のレバノン情勢の報道を読んでいて、急にヒューマンリーグの「レバノン」が聞きたくなってしまった。20年前の曲。その後、レバノンは多少は平和になったはずなのに。
 別にヒューマンリーグだけの話じゃなく、同じ頃、岡真理の「棗椰子の木陰で」(青土社)や後藤浩子の「<フェミニン>の哲学」(青土社)を読んでいたというのもある。後藤はスピヴァクからイリガライ、ドゥルーズをめぐって語り、岡は第三世界フェミニズム、アラブ文学を語っている。いずれも、先進国ではフェミニストが省みない状況のことが論じられている。その距離感というのが問題なのだ。ヒューマンリーグにとってレバノンはどのくらい遠かったのかなあって思う。
 このことは、機会をあらためて、ゆっくり語りたいって思っているんだけれども。

 距離感といえば、田中優の「戦争って、環境問題と関係ないと思ってた」(岩波ブックレット)も読んだ。それはその通りで、現代の戦争が石油をめぐる争いであったりするし、電気のスイッチをこまめに消したところで、本質的な問題は解決しない。
 というか、環境問題以上に戦争の問題は大きな問題だし、それは先進国のフェミニストがその外側に目を向けないということを批判されていることと同じである。
 だから、お金の流れを、戦争に結びつけないですむ、NPOバンクという取り組みを田中は行っている。そうなんだと思う。お金に意思を持たせることは大切だと思う。
 でもまあ、そんなことだけじゃなく、せめて少しでも多くの人が、レバノンをふりかえってくれることも、重要なんじゃないかとも思う。でも、現実には日本人の想像力は北朝鮮の人々にすらおよばない。そんなことも考えてしまうのだ。
 そういった意味では、電気のスイッチをこまめに消すということそのものが、戦争に対するメッセージであるべきなのかもしれない。